周一ぶつぶつ

2014.06.08
社会働きかける乳幼児保育はどうあればいいのだろう

あけぼの幼稚園 園長 安家周一(男子部31回生)
永らく同学会会員であるにもかかわらず会報を眺めるだけで申し訳なく思っていたところ、思わぬ原稿の依頼をいただきました。たまたま編集委員が男子部60回生の方で、長男と同級生ということもあり、引き受けることとしました。拙稿ですがお許しを得て書かせていただきます。
あけぼの幼稚園の初代創設者は、自由学園女子部卒の母、周子です。羽仁先生の教えに力を得て、困難を乗り越え昭和29年豊中市に設立しました。60年間、泥と涙と汗まみれの乳幼児保育(私たちは『保育』という言葉を使います)を担ってきたことになります。
私は36歳の時に園長に就任し、現在に至ります。現在では六施設、園児700名を超えます。
本題に入ります。チンパンジーの授乳期間は何年位だかご存じですか?私たちと遺伝子レベルでほとんど違わないチンパンジーの授乳期間は五年位なのだそうです。親は五年間一頭の子どもだけを育て、子どもはその後独立し一頭で生活します。片や人間は二〇万年前から約一年で授乳を終了し、その後は子どもを集落に任せて育てるのが習慣でした。人間は社会的動物とされる所以です。日本でも、ほんの五〇年位前まではそのような環境によって子育ては行われていました。(Humanなぜヒトは人間になれたのか2012)
その前提となる社会環境は、三世代家族できょうだい数も多い共同体。子どもが育つ近くで大人は仕事に汗を流し、異年齢の様々な年代の人との交流があり、幼稚園では造形描画、音楽、紙芝居などを教えてもらうというバランスだったと考えられます。イメージとしては、「オールウェイズ三丁目の夕日」の時代観で、すでに過去のものです。
昭和六〇年以降、教育や保育、心理臨床などの分野では、現代の子育て環境は母親への重圧が大きく、保護者はとても育てにくい(子どもは育ちにくい)環境であるというのが定説となっています。これは現代の親がダメになったからではなく、親を支える多様なサポートシステムが崩壊してしまったために、保護者は狭いコンクリート住宅の中で悲鳴を上げているのだ、と理解されます。その結果、乳幼児期の育ちが一因と考えられる、日本の高校生の自己肯定感は、アメリカ、韓国、中国との比較調査で圧倒的に低いのが現実です。(財団法人日本青少年研究所調査2011)
そのような子育て環境の中で、平成二七年四月より「子ども子育て三法」が施行されます。従来施設が中心となり、家庭や地域の補完的役割を意図的に担うことが必要とされたのだと認識しています。出生数の減少による人口減、待機児問題による保育所の増設、行っても行かなくても良いオプション的な教育機能であった幼稚園も、保育的役割が担えるような「認定こども園制度」が提唱され、社会保障制度の枠中で子育てや乳幼児保育が捉えられることになります。
「自由学園は社会に働きかけつつある学校」。在学中にこのような言葉を聴いたことを記憶しています。まさしく創設者は時代の動きと共に社会的存在意義を磨き上げ、必要に応じて修正し、社会的役割を担うことを提唱されています。その働きを止めたときに、社会からの支持を失います。私たち保育施設は、現代社会に働きかけるための機能に変えようとしていることになります。発達に合わせた課題を着実に成し遂げ、乳幼児期を味わい尽くす、人生のスタートを力強く歩ませるための「ヒトづくり国家プロジェクト」です。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会