園の下の力持ち

2025.06.01
幼小接続の“橋渡し”

幼児期から小学校就学への“橋渡し”というものが非常に大切であると、近年多くの場面で叫ばれています。近年このことが特に言われるようになった背景はいったいどんな理由でしょう。不登校の問題ももちろん含まれていますが、実は少し本質が異なります。

現代は様々なエビデンスの蓄積を通して、幼児期に、特に大切に育むべきと考えられるようになった非認知能力というものを育てるために、人的・物的な環境構成を整え、集団生活の中で主に遊びを通して社会性・主体性・自主性・創造性・協調性など様々な力をそれぞれが獲得していくべき時期であるということが認識されるようになりました。一人ひとりが探求したり、創意工夫したりできる時間と環境の両面が意識され、子どもたちの生活を形作るような園生活が津々浦々で広がっています。

しかしながら小学校に進学した途端、時間割通りに生活が始まり、1コマ45分間体育など以外は椅子に座って話を聞き続けなければならなくなるので、子どもたちにとって戸惑う瞬間になることがあるのは確かです。ここに今回の問題の本質があります。

だからと言って、小学校でそうならないようにするために、保育室に黒板があり、自分用の机と椅子が与えられ、先生が前に立って云々…という小学校のようなスタイルで過ごすような“昭和スタイルの園”に今更戻る、という選択を取るのは、蓄積されたエビデンスからも間違っているでしょう。

自由に選択して遊ぶことが許されず、理由も分からずに座らされ、先生の号令に合わせて一律一斉に動く。それができなければ怒られるというような幼児期の生活が、このSociety 5.0の激変の時代を生きていくために再び正解になるはずはないと考えます。

つまり、集団生活の中で遊びを通した深い学びの探求が良しとされる現代の主流にあって、その先に待っている“認知能力の積み上げ期”としての小学校教育とのギャップを埋めるための手立てが求められるようになっています。このことは、変化してきた幼児教育の在り方を再び変化させるというよりも、小学校以降の学校教育が変わる必要を示しています。

最新の小学校教育要領の中で、アクティブラーニングと呼ばれる主体的・対話的・深い学びを通して、子ども達が能動的に考え、議論し、問題解決を図る必要がこのSociety5.0を生き抜く子どもたちには必要不可欠であると示され、学習方法として盛り込まれていますが、これまでとあまりにも異なる小学校教育の在り方が示されているため、実際にはまだ過渡期にあり、小学校教員の考え方にも大きな幅がある状態だと推測されます。

そこで、幼小の“橋渡し”の大切さ、丁寧さが強く求められるようになっています。これはとても健全な展開であり、なおかつ必要不可欠なものであるとも感じます。幼児施設と小学校が協業して、お互いのカリキュラムを幼児期から小学校1年生、2年生までの見通しと一貫性を持って作り上げながら、子ども達にとっての最善の“橋渡し”が生み出されるよう努力しなくてはなりません。

我が家の長女も今年から小学一年生になりました。毎日連絡帳に何やら先生に言われたことを書いて帰ってきて、翌日の準備をしようとしていますが、自分が書いた連絡帳を見つめながら、「これって何だったっけ」とぶつぶつ。きちんと書けているので、親が見ると何の事かすぐ分かる内容で今のところはサポートできていますが(そもそも小学校1年の4月にひらがなが書けることが前提となっている時点で???とは感じますが)、時間割を見て自分で翌日の準備をすることも、学校の登下校も突然自分1人でしなくてはならなくなることもそう、変化の大きいライフチェンジだよな…とつくずく感じます。たまに帰ってくる時間に出会えそうな時には、帰宅ルートを自宅から逆走して道の先に姿が見えると、緊張感のある表情で黙々と大きなランドセルを背負い、荷物の沢山入った手提げカバンを抱えて歩いている姿を見て、毎日頑張る我が子に、週末のたびに一週間お疲れ様、とつい声を掛けている自分がいます。

幼児教界のレジェンド、小田豊先生が「教育は夢を語る 福祉は今を語る」というお言葉を残されています。

大人が教育という夢を語ったその先に、実際の子どもたちがきちんと夢を持つことのできるような、そんなあり方が求められています。できる限り早急に、地域の小学校とも連携してこの部分に着手したいと思います。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会