園の下の力持ち

2025.12.01
物価高と“もったいない精神”

スーパーの商品棚を見るたびに、「あれ、また値上がりしている…」、回転寿司に行けば「一皿100円で食べられるものなどほとんどない…」、自販機の前に立って、「あれ…ペットボトルの水ってこんな値段したかな…」と感じるこの頃。生活に関わる全てのものがじわじわと高くなって、家計はボディブローのようなダメージを受けている印象があります。こんな時代だからこそ、私たち日本人が古くから大切にしてきた、そしてあけぼのでもずっと大切にされてきた「もったいない」という心を、もう一度見つめ直す必要があるのではないかと思います。

「もったいない」という言葉は、単なる“節約”を意味するわけではありません。その背景には、物や食べ物に宿る命や労力、自然への感謝、そして作り手を始めとした、人の想いを大切にする心が込められています。日本では昔から「お米一粒にも七人の神様が宿る」と言われてきました。お茶碗に残ったご飯を見て「もったいない」と感じる感覚は、単に経済的なことではなく、食べ物に対する敬意の表れです。

現代のように便利さとスピードが優先される社会では、つい「古いものは捨て、新しいものを買う」ことが当たり前のようになっています。しかし、便利さの裏で失われつつあるのが、“もったいない精神”という、心の豊かさではないでしょうか。“もったいない精神を大切にしよう”という考え方の強い家庭で育った私は、誰かと比べる、という類のものではありませんが、物を大切にする人になったと自負できるくらい、物を大切にします。例えば、15歳の時に買ったコートを、30年経った今でも着ています。(親に購入をねだった時に、「絶対一生着るから」と言って買ってもらった当時3万円のコートだから、というだけの理由ではありません。)

最近では「フードロス」や「サステナブル」という言葉が広がり、食べ残しを減らす取り組みや、リサイクル・リユースが注目されています。しかし、これは決して新しい考え方ではありません。昔の日本の家庭では、冷蔵庫の中の少ししなびた野菜を味噌汁や炒め物に使い切ることが当たり前でした。祖母や母が作ってくれた“残りものおかず”には、知恵と優しさが詰まっていました。

「もったいない精神」は、教育の現場でも伝えていくのが大切だと考えます。ごはんの時間に「食べ物を残さず食べようね」と声をかけるのは、栄養のためだけではありません。作ってくれた人、育ててくれた農家さん、運んでくれた人、そのすべての人への感謝の気持ちを育むためです。子どもたちは“もったいない”を通して、他者を思いやる心を学びます。これは数字では測れない、とても大切な教育の要素だと思います。また、 “もったいない精神”は創造力を育む鍵でもあります。限られた材料や条件の中で工夫を重ねることが、子どもの想像力や問題解決力を伸ばします。余り布で工作をしたり、空き箱でおもちゃを作ったりする時間は、単なる遊びではなく、大いなる学びの機会です。創意工夫を詰め込んで、空き箱が作り手の宝物になっていくのは、自らの「生きる力」を高めている行動に映ります。

物価高の今、私たちは「買う」ことよりも「生かす」ことに目を向けてみることが必要なのかもしれません。新しいものを次々と手に入れるよりも、手元にあるものを大切に使い切る。その中に、本当の豊かさがあるのではないかと思います。日本の家庭文化の中には、そんな“循環の知恵”が息づいています。

物価が上がる時代だからこそ、私たちは「失われかけた心の豊かさ」を取り戻すチャンスをもらっているのかもしれません。“もったいない”を忘れずに生きることは、経済的な節約を超えた、人と自然と未来をつなぐ、何よりの教育なのかもしれません。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会