学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会
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1970年の大阪万博と2025年の大阪・関西万博。
55年の月日を経て、2025年4月13日から10月13日までの半年間、いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)というテーマで大阪市夢洲地区と呼ばれる埋め立て地で開催されました。
我が家はさまざま日程調整が上手くいかず、結局真夏中の真夏に1日かけて訪問しました。どのパビリオン申込も全滅でしたが、小さい子連れだったために入れてもらえたポルトガル館をはじめとして、ベトナム・カタール・UAE・噴水ショー・いのちの遊び場・コモンズD(モンゴル、マリ、ラオス、ナイジェリアなど)・大屋根リング周遊など、特段予約が無くても楽しめる回り方をしました。初めて訪れた万博は、様々な国と地域が集まったお祭りのような印象で、8月の暑い日にも関わらず大屋根リングの下には気持ちの良い風が吹き抜け、そこに集う人たちみんなが楽しそうであったのが印象的でした。
先日何気なくテレビを見ていたところ、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんが1970年の大阪万博の際に「タカラ・ビューティリオン」「ペプシ館」「生活産業館」のユニフォームをデザインし、そして今回の2025年大阪・関西万博でも「タカラベルモント」のスタッフユニフォームのデザイン、さらに「万博ボランティア」のユニフォームも監修したというから驚きです。55年越しに同じデザイナーが(大阪府岸和田市出身とはいえ)万博にデザインという形で関わっているというのは、ある意味で唯一無二かもしれません。
そんなコシノジュンコさんのインタビューの中で、彼女が語っていたことが印象に残りました。
「1970年の万博の時は、日本人が初めて外国人を見て、衝撃を受けていた印象があった。それはまるで、世界には様々な人がいるということを日本人に知らしめるために、万博を通して世界の人々を大阪に招き入れてきた感覚だった。一方で、今は多様な人がいることは普通のことで、特段驚くことも少ない。55年での感覚の違いというものがとても印象的である」
というような内容でした。大阪の街を歩けば、会期中の繁華街は日本人より外国人の方が多い印象があるほど、大阪の街の中は外国の人一色でした。聞こえてくる言葉も、英語、中国語、スペイン語、フランス語など、聞き取れるだけでも多様な言語が飛び交っていて、世界中の人がここ大阪に来ているんだということを感じました。私自身海外在住経験があるため、多様な文化的背景をもった多国籍な人たちとの関り・交流に否定的な感じは一切ありませんが、このような機会を経て、多くの日本人が全世界の人たちとの交流・親睦が深まる機会になっていたらなぁと思いました。困難な状況でも参加していたウクライナやパレスチナといった地域も含めて、地球という丸い一つの枠の中で、それぞれが角ばらずにいのちを輝かせて共生できたら、どんなに世界は良くなるのだろうと切に思います。