周一ぶつぶつ

2010.05.11
親の生き様と子どもの育ち

新年を迎えると、おびただしい年賀状が園にも、自宅にも届きます。販売が不振と聞いているのですが、そのことを想像できない位、年々増えるような気もします。その中に、卒園生や転居した元園児も含まれています。特に、卒園児や元園児の年賀状は、ご家庭の方が書かれたものが多く、本人からの年賀状は数が少ないのですが、ある卒園児本人からの年賀状をご紹介します。「大分県で循環農法に取り組み、賛同者に宅配便で野菜を販売する仕事を始めました。農薬や化学肥料を一切使用しないで育てた野菜です。そしてこのたび結婚が決まりました。」との報告です。自信にあふれています。ある女児のお母さんからは、現在国連高等難民弁務官事務所で働き、昨年は仕事でアフリカを歩いていた様子が届けられます。はがきを受け取ったとき、何ともいえない懐かしさがこみ上げます。それは園児本人に対する懐かしさもさることながら、園児時代の生活を、お母さんやお父さんと過ごされていた様子が思い出され、当時が強く思い出に残っているからなのでしょう。この二人のお母さんは、当時の母の会会長をなさいました。決して楽々なされたのではなかったけれど、ひたむきに会務を遂行され、私の中では充実した園児の保護者ライフを楽しまれた記憶とセットです。長い間お会いしていないけれど、時を超えてしっかりと大地に根を張り、育ち上がり、社会のために貢献する姿はまぶしささえも覚えます。

上記の有機農業に取り組んでいる青年は、幼少の時ひどいアトピーに難儀していました。方々の医者にもかかったのでしょうがなかなか良くならず、出会ったのが有機野菜だったようです。お母さんは在園中に乳ガンを発症し、その後大分に移住され、現代医学の化学療法を拒否して自然に任せ亡くなりました。その以降も家族で大分の山の中で生活をしておられます。まさしく、お母さんが自分の癌の治療で示された考え方と、子どものアトピーを心配して施した、有機野菜治療が、その子の生きる方向性を決定づける事になったのだと想像します。
私たちは子どもを育てているとき、どうしても子どもの欠点や、直したい癖などに目が向き、目につくと注意叱責を繰り返します。たとえば食事の時、テーブルに肘をついているとき、お椀を持つとき人差し指を椀の中に入れて持っているときなど、気になって、寄るとさわると子どもに口出ししてしまいます。子どものためによかれと考えての口出しですが、一日自分の身体に小さなICレコーダーをつけて聞き直してみると子どもを追い込んでいるようで、少々怖い気もします。
他人に迷惑をかけないように、良い学校へ進学し良い企業に勤めてほしい、当たり前のことではありますがどうしてもそのような思いが頭をもたげます。自分らしく周りの人のために力を出して生活する、そんな風に育ってくれたら、もう言うことなんかありません。生き方として着実に子どもに伝わり、奥深く内面に定着するのは、親の生き方の「哲学」や「生き様」なのだと、強く感じた年賀状でした。
育てられた人が育てる人に育ちあがる、頭でわっかっているつもりですが、子どもが小さいときに意識するのは難しくもあります。幼児期と青年期、時間軸としてもかなりの長さがあります。幼少期に周りで生活する大人の姿は、必ずや子どもの中に取り込まれ、青年期に花開くのが現実です。いかに親子共に育ち合うことが大切か、おわかりいただけると思います。
幼少期の子どもから成人になるまでを見守る立場の者として「子どもは必ず良く生きようとする」を私は信じていいと思います。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会