周一ぶつぶつ

2010.05.11
子どもに良質な幼児教育を享受させなければならないわけ

Ⅰ】1947年に求められた機能と、現代に求められるもの

1)それぞれに期待された機能
1945年、第2次世界大戦を敗戦という結果で迎えた日本は、アメリカの力も借りて、敗戦の貧しさの中再度国作りを始めました。日本の国では、戦争によってたくさんの浮浪児や孤児が存在し、父親が戦死し母子家庭となり、保育に欠ける子どもも大きな社会問題でした。そのような背景から、児童福祉法が制定され、保育に欠ける子どもの救済がはじまります。
一方、都市部の裕福な家庭の子どもを中心として、昼間の一定時間、家庭ではできない絵の具で絵を描いたり、お遊戯を踊ったり、紙芝居を見たりというような様々な教育が幼稚園で施されていました。この根拠法令は、学校教育法です。保育に欠けないそれ以外の子どもは、小学校入学前まで地域の子どもと群れて遊び、幼稚園に通わず小学校に行く子どもも多い時代でした。
以上の状況を整理してみると、児童養護施設や乳児院、保育所は、家庭保育の替わり、幼稚園は家庭教育ではできない教育を補完的に担うという、当時としては非常に合理性のある二つの法律で、小学校入学前の子どもの保育環境が整理されていたと言えます。
2)宗教や文化的、社会的な背景
明治維新までは、鎖国の中で、封建的な風習や決まり事があり、自らで、住む場所や職業も選べない国でした。明治維新以降、富国強兵を目指し軍備を進めます。又鎖国の呪縛から解き放たれた人々は、学問を身につけることで立身出世を目指します。
第2次世界大戦の敗戦後は欧米をモデルとして近代国家作りを推進します。徐々に都市部へ人口が移動し始め、特に、1960年以降は高度経済成長の中、たくさんの人口が都市部に集中し、狭いところにたくさんの人が住むため、高層のコンクリート住宅が至る所に建てられます。その住宅は消防法の関係もあり、鉄扉で閉ざされ、徐々に隣近所との交渉も減少します。封建的な時代には、地域や他人の干渉を疎ましく感じてはいたのは事実ですが、少し遠くから眺めてみると、互助的で牧歌的で開放的な農村社会だったわけです。そこから干渉は少ない代わりに、手助けも少ない機能的な都市社会へ、短期間で移行しました。
西洋都市では、遊牧的な生活を送るために地域を転々としたり、面積の割に人口が少なかったり、神と個人との結びつきなどの関係もあって、個人の自立が求められてきたこともあり、孤立した生活は当然のこととして受け入れられていました。日本と違っているのは、日曜日毎に礼拝のため、教会を訪れることです。そこでは、地域の大人も子どもも少しよそ行きを着て参集し、礼拝が終わった後は子どもの日曜学校が開かれ、親も少しの飲み物を飲みながら談笑することが習慣だったようです。その様な関わりの中で、普段の関わりの少なさを補うように大人同士が関わりを深め、子ども達も群れ遊びます。その様な環境の中、キリスト教特有のボランティア精神も相まって共助の関係が育まれていきます。
日本にもキリスト教やユダヤ教などの一神教を信ずる人は多くおられますが、圧倒的に日本的な八百万の神的宗教観が価値観を支配しているため、欧米並みの近代化は遂げ、農村的地域コミュニティーを捨てて都市に出てきて再度都会で地域コミュニティーを再構築したり、家庭が相互扶助の精神を醸成し、行き来し共助精神を発揮したりすることに街作りの力点はおかれませんでした。村社会はいつも他人の目が光っていてうっとうしく、逃れたいと感じて都会に出てみたものの、孤立感にさいなまれるという結果となったわけです。
Ⅱ】子どもは母親一人では育てられない
前述の都市環境の密室の中で子育てが営まれます。都市部に住む父親の帰りは勤務時間に加え、通勤時間も相まって毎日遅く、コンクリート住宅の中で響き渡る子どもの泣き声にめいり、イライラし、誰の助けを頼ることもできずに些細なことで子どもに手を挙げてしまう母親も出現します。
農耕型村社会では、地域の助け合いですべてのことがなされます。もちろん家族も三世代家族が珍しくなく、若い父母は農家の中心的な働き手で、子守はもっぱら祖父母や年長の姉の役目です。余談になりますが、老人は同じ内容の話を繰り返すことが良くあります。子どもに昔話をするのは老人の役割でしたが、毎日のように繰り返しされる話に、登場人物も同じという状況でも、子どもはとても楽しみでした。子どもは毎夜「昔々あるところに・・・」とはじまると、昨日と同じ話に安心するという事になります。
1)子どもを預けるために仕事を探す
貧困や一人親家庭の場合は、保育所に子どもを預けなければ働くことができないため、なんとしても保育所へ入所しようと考えます。一方、家計が逼迫しているわけでもないし、キャリアを生かして仕事を続けたい願望が強いわけではないけれども、家庭で子どもを育てることがおっくうだったり、子育てに自信が無く、自分の自由な時間や自由に使えるいくばかりかのお金もほしいために、子どもを預けるという考えの方が増えています。2~30年前までは、保育所に預けるのは子どもにとってかわいそうというような認識もあったことも事実ですが、今は、公的資金がたくさん注がれる保育所に入れなければ損、というようなムードさえ感じる時代となりました。よって、預けるために仕事を探すという事となり、保育所の利用のされ方も「保育所に入れなければ子どもが育てられない」だけではなく「保育所に入れるために仕事を探す」というような方も多く、以前とは大きな変化を遂げています。
2)子どもが社会性を学べる遊び場は地域にない
一方、家庭の周辺に以前はあった、路地や資材置き場、廃屋や藪などの子どもにとって格好の遊び場は姿を消しました。遊べるところと言えば、家庭の中か、マンションに付随している小さな児童公園、そして地域の公的公園です。そこには、保育所や幼稚園に行っていない低年齢の子ども達が、各家庭から砂場道具などを持ち寄り、親の保護の元で遊びます。一定平和に遊んでいますが、他児のオモチャを使おうと思ったところ、自分の親から「だめ!!」と背後から声が響きます。そのような環境では、子どもがむき身でぶつかり合うことは難しく、幼稚園や保育所の入園前に本当の子ども同士のぶつかり合いを経験することは難しいのが現実です。
3)30歳代の父親の働き方と労働政策そして保育施策
ここではずすこと出来ないのは、一方の親である父親です。30代の父親の働き方は、ずいぶん前からほとんど変化していません。首都圏では都市の膨張から通勤時間が延びて、より通勤時間も含めた労働時間が長くなっている人もいるようです。育児休業を取得して、子育てに向き合う父親も少しずつ増えてはいますが、共働き家庭の場合、家事・育児はもちろん母親の役割ですし、それに男並みに働くことを強いられている母親は、大きな重荷を背負っていることになります。男女共同参画社会のかけ声は理解できますが、従来の役割プラス男並みの仕事では、母親の負担が重すぎることになります。日本の場合、残念ながら男性の意識改革はあまり進んでいません。
婦人の労働力を社会で生かすことがこれからの日本にとって大きな課題であることは少なからず理解します。しかし、今までの乳幼児保育施策は、貧困、一人親などの困窮状態や、親の働き方が優先的な課題で、保育の望むべきあり方や質的な面は後回しにされ、ほとんどの施策が対処療法として整備されてきました。そのために、厚労、文部の縦割り行政が温存され、子どもやその子どもを育てる親の幸せ感は個人的な嗜好として捉えられていたとしか言いようがありません。その意味から、乳幼児を育てる親の労働政策を抜本的に改革することと、子どもが良く育つための乳幼児期の保育施策は切り離して考えることが必要と考えます。
一日12時間、同じ保育施設から移動することが許されないというような制度は、子どもを収監しているとしか見えません。
Ⅲ】施設保育の長時間化と超満員の都市部の保育所
1)一緒の金額だったら、長く預けたい
保育園を運営していると、いくつか不思議に思うことがあります。その一つに、低年齢児の時には保育時間が11時間・12時間と長いのに、3.4.5歳児になると水曜日の2時位には迎えに来られる保護者がいます。「えっつ、お迎えですか?」「ええ、習い事に連れて行きますので、、、。」唖然としてしまって「お仕事は?」と聞けずに見送ることがあります。「忙しい、忙しい、園の行事には仕事の関係で出席できません」「11時間保育をお願いします」といっていた保護者がなぜなのか、不思議となります。様々理由は考えられます。現在の保育諸制度では、勤務時間プラス通勤時間で保育時間が決定されます。そして保護者世帯の所得によって保育料が決められると、6時間でも11時間預けても、保育料は同額という制度になっている事も一つです。手がかかる乳児の時には、できるだけ保育所に預け、幼児となり特別な技能を習得させたいなどの思いがある場合は、がんばって融通をつけ、迎えに来る人が存在するのです。保育所が親に便利使いされていると考えられます。
すでに、「保育に欠ける子どもが入所する福祉施設」という定義は陳腐化し、すべての人が上手に利用する一般化した施設となりました。
2)待機児が増え続けるわけ
その様子を見ている周りの保護者は、私も利用しなければ損というような意識で保育所の申し込みに殺到します。待機児が発生するのも無理はありません。それに伴って、保育所定員弾力化が進められ、部屋の面積基準を満たす必要はありますが、園庭は足りなければ、近くの公園面積を参入に加えて定員の弾力化を図る事が許されています。早出の保育士が勤務を終了する午後4時以降人手の関係もあり、遠い公園に出かけることはできずに園の庭で遊ぶのですが、元々面積が不足している園庭では子ども達はあふれかえり、すし詰めの都市部の保育所は少なくありません。東京などでは規制緩和が進み、今後一層条件を悪化させる傾向が強まってきます。そして何より心配なのは、遠くの公園を行き帰りするとき、やはり危険が増大することです。年間に何度か事故が起こり、報道されます。
Ⅳ】小学校入学前の子どもに対する、保護者負担、公費の投入金額が偏っている
1)保護者負担と税金の投入
児童福祉法、学校教育法と、背景となる法律の関係で、公的責任が色濃い保育所には、義務的経費として、税金がしっかり投入されています。しかし、幼稚園、特に私立幼稚園児には、あくまで補助金として、幾ばくかの補助が出ているのみです。新政権における平成22年度予算では、ただでさえ少額の就園奨励費補助金が、少し所得の高い層を中心に、大幅にカットされました。
市町村立の公立幼稚園では、交付税の算定基礎である月額1万円前後の安価な保育料を徴収されるのみです。市町村の予算も逼迫する中、公立幼稚園には重点的な施策が打ち立てられずに、家庭や地域の実情を顧みない旧態依然とした午前中だけの保育であったりします。担任教師までも嘱託教員が担当するなど、市町村の財政困窮をそのまま映し出す始末です。
ましてや、3歳未満児の保育所を利用していない子ども達には、平成22年度新たに子ども手当が新設されたとはいえ、少額の財源しか投入されておらず、過去からずっと不平等な取り扱いが堅持されています。
OECD諸国の投入額を比較しても、日本は非常に低レベルです。現代では、子育てや子どもに価値がおかれているとは感じられない国になってしまいました。とても残念です。
2)幼児期の教育は行っても行かなくてもいいオプション教育のままでいいのか
幼稚園にしろ保育園にしろ、現在は義務教育前の教育で、必ず通う必要はありません。幼稚園に3年保育で入園してくる子ども達を見てみると、上にきょうだいがいる子どもはそれなりの子ども同士の関係を経験していますが、長子の場合はその3年間を母とだけで生活してきた子どもも少なくありません。ある意味、子どもを知らない子どもといえます。1960年代前の日本には、路地裏や広っぱなどが子ども達の遊び場で、年齢の違った子どもが群れとなり遊ぶ環境がありました。1960年以降、路地は車に占領され、空き地にはマンションが建ち並び、子どもはそこから閉め出されました。
初めての集団生活がはじまると、満4歳が近いというのにおむつをしている子どもがいたり、関わり方がわからず、突然かみついたり突き飛ばしたりというような行動も見られます。環境を考えればこれも当然であります。
又、この時期の教育は生活と遊びによって組み立てられます。そのことによって生きる力や知恵を会得しますが、便利で快適で満ち足りていて、清潔な家庭環境でしか育たない子どもは、ひ弱で社会適応力が育たず、我慢する事が苦手で、他の子どもとの共同生活によって自覚される「自我」も育つことは難しく、将来に大きな禍根を残します。その意味から考えると、3歳からの幼児教育は現代に於いては行っても行かなくてもいい「選択による教育制度」なのではなく、「義務的にでも受けなければならない教育」なのだと思います。
Ⅴ】日本に住むすべての子どもに良質な乳幼児期の教育を保障する
1)遊ぶことがなによりも大切
乳幼児の教育は、「生活と遊び」を手だてとして行われます。子ども一人一人の発達を見取り、その時期にねらいと内容を精査し、環境を整え、その環境に子ども自らが関わりながら心情を揺さぶられ、意欲を喚起される中で、徐々にルールや約束を身につけていきます。まさしく、社会化するためには避けて通ることのできない貴重な経験です。この時期は、小学校以降の学習に欠かせない、学ぶ姿勢や、学び方を学ぶ時期と言い換えることもできます。
具体的に遊びの姿を追ってみるとこうなります。
他児がおもしろそうに遊ぶ場面を見る-なおもしろそうと心が揺さぶられる-個々の興味関心に基づいた環境が整えられる-対等な関係の仲間と共に-目標の共有-イメージの調整-協力する-工夫する-時間を忘れてエネルギーを傾注する-成功を喜び合う-明日もやろうと約束する

このように遊びに至る順を追ってみて気がつくことは、社会の中で充実して仕事に取り組んでいる人の働き方の姿と、重なり合うことです。充実した社会人を作るために乳幼児期の教育があるわけではありませんが、充実した乳幼児期を過ごした子どもだけが、ボーナスとして、強い身体、創造性や感性、社会性や倫理観、そして道徳性を身につけることができるのです。小さい頃からワークブックや習い事に明け暮れ、偏差値の高い学校に入る事にエネルギーを注ぎ遊びを犠牲にした子どもは、高学歴を手に入れることはできますが、残念ながら、社会の中で生き生き活躍することは難しいと思われます。
2)引きこもり100万人超えの国
日本は世界にまれに見ない「引きこもっている人」の多い国です。長期に亘って家庭の中に引きこもり、自室の中で孤立していて、外で社会活動ができない成人が多く存在します。鬱などは、心療内科などでそれなりの治療と投薬がなされるために、厚労省の統計で現されますが、成人の引きこもりはそのような政府の統計でカウントされることがないため、正確な実数はつかめていません。アメリカの研究者であるマイケル・ジーレンジガー著「ひきこもりの国」では日本が優に100万人を超える世界最大の引きこもりの国であると書かれています。世界の中の引きこもりについての研究者は、こぞって日本にやってくるのだそうです。
それに加え、軽度から重度に至る鬱患者が600万人、フリーターが175万人など、社会でまっとうに社会生活ができない成人が多く存在しています。毎年3万人を超える人が自殺することも、世界では有名です。
この原因の大きなファクターと考えられるのが、乳幼児期の自我の育ちの問題です。ほとんど他の家庭と交流のない家庭生活の中で、子育て経験が無い親だけに育てられる子どもが多く存在しています。特に、3歳未満児の約75%は家庭で保育されていますが、親による虐待は後を絶たず、毎日の報道は目を覆いたくなります。前述したように、孤立した環境でほとんど経験のない母親だけで子どもを育てることには無理がありすぎます。犠牲者は子どもで、その環境で育った子どもは、十分に社会で生活するだけの強い自我の形成がなされていないと考えています。結果的に、前述のような数字の成人があふれかえります。
従って、フリーター対策や、引きこもり対策に多額の税金を投入しても、時すでに遅く、対処療法を繰り返すばかりです。その人達の苦しみは想像を絶するものであることは一定理解しますが、視点を変えなければなりません。
3)社会を支える人になるか、生活を支えてもらわなければ生きられない人になるか
疾病やしょうがいなどで、人に支えられなければならない人が一定割合存在することは、ある意味当然のことで、これらの人に対しては手厚く尊厳が維持される施策が必要であることは、言うまでもありません。しかし、小さく幼気な子ども時代に良質な環境が与えられない事が原因で自分を信ずる力も弱く、様々な困難に耐えることのできない大人が多い日本の国では困りますし、世界の国から尊敬される国にはなりません。乳幼児期の保育や教育の問題は、人間が育つための基礎的な教育、樹木にたとえればいかに立派な根を育てるかであるとたとえられる所以です。
OECD諸国では、将来税金を納め、社会に貢献する人間に育つか、税金を注いでもらって生活を送る国民になるのかの分かれ目は、乳幼児期の保育への投資と質に正比例すると判断され、圧倒的なパワーを傾注し、そして税金が乳幼児期保育に注入されているのはそのためです。
以上のことからも。日本に住むすべての子どもが所得にかかわらず、そして親が働いているかいないかとかの家庭環境にかかわらず、良質な乳幼児期の教育が保障されなければならないことがおわかりいただけると思います。今まさに保育制度が検討されています。60年間続いた縦割り陳腐化した制度を、是非子どもが幸せに育ち、親が子どもと共に生活することに幸せが感じられることのできる制度となるよう、各般の方々と共に努力したいと思います。
お力をお貸し下さい。

参考文献:「ひきこもりの国」マイケル・ジーレンジガー 著
河野純治 訳        光文社 2007年

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会