学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会
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第二次世界大戦後はじめてと言っていい大きな政権交代がもたらされました。これも民意で、最終責任は私たち有権者が負うことになりますが、前政権とは違う様々な理念に基づいて、具体的な変化が予見されています。子どもを持つ親にとっての大きな変化は「こども手当」の支給でしょうか。中学校卒業までの子どもを対象に支給される手当で、平成22年度は半額の1万3千円、翌23年度は満額の2万6千円の予定です。ただこれに要する総予算は5兆円を超えるのだそうです。全税収が40兆円の内の5兆円ですから、大きな比率が子どもに向けられたことになります。「コンクリートから人へ」、橋や道路の公共工事にではなく、人間に予算が配分されることは当たり前のことなのですが、過去の手法はそのようには感じられませんでした。
さて、現実の子どもや保護者の子育て環境をつぶさに見てみると、現代の環境はとても育てにくく、育ちにくい現状を感じられることだろうと思います。乳幼児期保育の根本学問である「発達心理学」は250年ほど前に出版されたルソーによる『 エミール』が古典ですが、それ以来子どもの研究が盛んに行われ、発達心理学も100年ほど前からいくつかの発達論が発表され、現代に至っています。その当時研究フィールドであった生活環境は、当時の先進国でさえ産業革命前後の牧歌的な地域社会や絆が家庭を支え、子育てや老人介護などもその機能によって多様な地域の人たちが背後に見守る中で、母親を中心としてその役割が担われました。若く元気な父母は家事、家業、農業にいそしみ、子守は主に兄姉や祖父母の役割でした。その当時発達心理学が研究された前提条件の社会環境は、まさしく母だけで子どもを育てることが前提ではなく、様々な人間模様の中で、互助関係の中で育てることが条件だったようです。現代も、基本的には母が育てる事に代わりはないのですが、違っているのは地域の共助機能と住宅様式の変化が圧倒的に違っている中でまさしく母だけで子どもを育てなければならないということでしょう。現代子育て環境に於いて、三歳位までは母が育てることが子どもにとって幸せだという、いわゆる3歳児神話のおかしさの原因は、古い時代の発達心理学にも大きな一因があると思うのです。現代にマッチした発達心理学は、残念ですが新たに打ち立てられていないのが現状です。
現在の保育所や幼稚園の制度は、この古い時代背景の中で成立し、日本では現在まで63年間続いています。大まかに言うと、裕福な人に対する文科省が所轄の「幼児教育」と厚労省が所轄の困った人に対する「児童福祉」という乳幼児保育制度から基本的には変化していません。先日、精神医学者の佐々木正美氏の講演を聴く機会がありました。その中で同氏は『現代の母子育児環境は劣悪で、それを支える施設である幼稚園は限りなく長時間預かりの保育所化し、保育所は1日12時間預かり続ける養護施設化し、児童養護施設は特別支援施設化してきている』と話されました。保育園と幼稚園、両施設の責任を持つ者として、その話を聞いたときに深いため息が漏れるのを止めることはできませんでした。
そのような折りに、新しい政権で、新しい保育の制度を成立させるということが打ち出されています。具体的には幼稚園と保育所の制度や機能を一元化し、保護者が施設を選ぶという制度です。保護者負担も全体的な見直しがかかり、施設に支払われている運営に必要な費用の見直しも考えられているようです。ある意味遅きに失した感は否めませんが、「社会で子どもを育てること」、当然のことだと捉えています。
我が国では引きこもりや不登校で苦しむ人が2〇〇万人といわれます。OECD加盟国で格段にその数は多く、引きこもりを研究している世界の研究者は、こぞって日本に研究フィールドを求めるといわれています。大きな原因の一つと考えられているのが、乳幼児期に育つことが期待される「無条件の自らを信ずる力が不足している」事だと言われます。「自らを信じる力=自信」は、成長の過程で必ずや遭遇するであろう困難なことに立ち向かうために、必ず必要となる力です。この力は広い心による大人からの見守りの中で、対等な関係で子どもが群れ遊び、泣き笑いの生活から培われます。
乳幼児を育てておられる保護者と、私たち保育者が今取り組むべき待ったなしの課題です。共に未熟な私たちが、手を取り合い、子どもに学びながら、共育てにいそしみたいと思います。