周一ぶつぶつ

2010.07.14
人の賢さと政治、そして子ども施策

7月11日に行われた参議院選挙は、政権与党である民主党の惨敗で幕を閉じました。

予想通り、50数%の投票率で低調でした。「私が投票したところで、何も変わらない」と嘆き、投票に行かない人がいる事も事実ですが、果たしてそうなのでしょうか。
前政権では、社会保障に当てる総予算の中で、重点的に配分されていたのは老人関連でした。子ども関連施設、障害者施設などは、不十分な予算で運営され、先進国が加盟するOECD(経済開発協力機構)の中でも、その費用の投資は著しく低く、劣悪な状態です。幼稚園児の設置基準は未だに1学級あたり35名が上限です。他の先進国と比べても幼児の集団としては倍ほどの人数を、1学級に詰め込んでいる事になります。このような人数でないと、幼稚園の運営が持続的にできないからに他なりませんが、日本は国内総生産世界第2位の国なのにです。
この原因にはいくつか考えられます。東アジアには未だにそのような国がありますが、儒教の教えが色濃く残り、たくさんの子どもが物知りの熟練した教師から、効率的に学ぶという手法で、教えてもらうことも一つの原因です。また「エデュケーション」という言葉を、「教育」と訳した事にも起因します。教え育てるという、教師と子どもの関係を縦方向に位置づけた事です。インターネットの時代となり、大人が広い視野と知識を占有する時代は終わりを迎えています。やり方さえ理解すれば、小学生でもネットで大人顔負けの知識を得る事が可能な時代です。したがって現代の教育は、前時代のそれと手法や内容も大きく異なります。小学校低学年の教育手法も、従来の教授学習的な手法から、体験しながら話し合いで授業を進める方向へ転換しています。
乳幼児期の育ちは、どちらかというと結果が目に見えにくい心の揺れ動きや、数量で測る図る事のできない非認知的能力を育てる事が目的ですから、深い意味の価値を理解するのが一般的には難しいのだと思います。又、この時代の教育の最大のポイントは、学ぶ意欲や学び方自体を学んでいるという事です。「不思議だな」「なぜそうなるのだろう」「おもしろそう」などがそれに値します。この育ちが十分でないと、小学校以降系統的な認知的知識を上に積み上げていく事は難しくなります。
このように目に見えにくい育ち、言い換えると、人生の根っこを育てる教育の価値に予算が注がれないために起こっている社会現象は、目を覆うばかりです。低学力や学ぶ意欲の低下に始まり、自我の未成熟による自信のなさや、やってみようと意欲的に関わるときに必要な自己有能感の低さ、社会に貢献しようとする意欲の低さ、自殺者数の増大、不登校・引きこもりの数が世界一など、日本が抱える病理の多くが、乳幼児期の育ちが根本的な原因と考えられるようになっています。
子どもに予算が注がれる事は、社会の中で、子どもの育ちが大切であるという国民的合意があればこそです。日本は資源の少ない国です。人が資源といっても言い過ぎではありません。そのことを投票という行動で民意を示す事以外に、政治を動かす事はできません。 次の選挙が楽しみです。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会