周一ぶつぶつ

2012.01.24
社会の変化と子どもが育つ保育の環境

園長 安家周一
■閉塞感
3月11日以降、それまでにも増して日本の国を閉塞感という重い膜が覆っているように感じます。景気や雇用、将来への社会保障の不安、増税、あげればきりがないほど多くの問題が覆っています。「何かなぁ~」という嘆きが、思わず口をついて出るのも事実です。そのような時、その閉塞感を打ち破ってくれそうなヒーローの出現を期待する気持ちが私たちを虜にします。その絶好の機会が選挙です。民衆はこぞってそのヒーローに期待します。大阪の状況は、まさにそのような期待感に満ちあふれます。このことは、現行の社会システムへの不満や既成政治への反発エネルギーでもあります。
私も、現大阪府知事や大阪市長の考え方に、真っ向から反対ではありません。労働組合との関係や、様々な公務員の優遇策は、私も以前から官尊民卑の現存のように感じ、何とかならないかとも考えていましたので、そのような意味からはある意味賛成でもあります。しかし、永年大切に育んできた文化を一刀両断に切り捨てる様は、行き過ぎを感じますし、教育への政治的介入の仕方については法的にも議論のあるところです。熟慮の上他の方法も選択できると思います。
私が一番気になるのは、多くの選挙民が大きな期待を寄せてヒーローに1票を投じ、改革をその人に任せるような風潮はいただけません。もとより私たち一人の力はとても小さく弱いものではありますが、常に社会を注視し、何かあれば自分の責任の基、行動に起こす位の気構えを捨ててはダメと思います。昭和の時代に一部の強引な指導者に引きずられるように、日本は大きな過ちを起こしたことを忘れてはなりません。成熟した今だからこそ市民一人一人の自主自立が求められています。このことを、家庭の中でも親同士でも、話をすることこそが子どもを民主的な国民に育てる大きな教育的な営みだと思うのです。
■国の「子ども子育て新システム」の議論
どのような状況であろうとも子ども達の生活は、与えられたそれぞれの条件の下で粛々と進行しています。少し話は変わりますが、国では「子ども子育て会議」が開催され、これからの保育制度が議論されていることはご存じと思います。本来このような議論は、国としての『人はいかに生きるか』という哲学の基、教育的施策が議論され、教育体系全体を俯瞰した中で、いかに小学校入学前の保育制度を位置づけるかという文脈が必要です。残念ながらこのたびの議論はそうではないようです。なぜかというと議論の出発が、「緊急経済対策・少子化対策・保育所待機児対策」であったことでもそのことがわかります。又、『社会保障・税一体改革』という消費税増税の枠内で予算的裏付けがはかられており、あくまでも社会保障の枠組み内の議論なのです。
11月に開催された前述の国の第18回会議に傍聴者として出席しました。各委員が自分の所属団体を代表して意見を述べます。それはそれで一定理解できるのですが、その中で気になったのは「保育制度は誰のための制度であるか」というあたりで、どうも『利用者は保護者』であるような理解の委員が多くいることに気付いたのです。間違っていただいては困ります。保育制度の第1義的利用者は『子ども』です。日本に暮らすすべての子どもが、この時期、主体的に健康で生き生き育つことが、その人の幸せな一生に関わり、そのことがどれほど良い社会を作ることに寄与するかを思うとき、子ども中心の豊かな保育制度が不可欠だと考え、園作りに少なからず力を傾けてきた者として残念でなりませんでした。
■子育ては変化しないもの、SLOWなもの
社会は時代と共に変化します。文明も飛躍的に進歩し、便利になります。そのような中で普遍的な事象もあります。例えば乳児は寝ている状況から寝返りが出来るようになり、少しずつハイハイをし、座り、そして1歳前後に自ら立ち上がります。子どもの発達の順序性は昔と変わりません。また、愛情あふれる手作りの食事はどんな有名シェフの料理にも勝り、人を幸せにします。そして、子どもを育む営みも実は全然変わっていません。すべて手仕事で自然でSLOWです。時代はFASTがもてはやされる時代ではあります。昼になればFAST FOOD店の前には列が出来ます。家庭の料理も、冷凍チルド食品花盛りが実情で、FASTにならされてしまった私たちです。ややもすると子育てについても手をかけずにチンで…育って欲しいという気持ちが頭をもたげる時もありましょうが、ここはひとがんばり!あけぼのの大人は、それぞれの子どもの「良さと可能性」を信じ、保護者と保育者が協働しながらSLOWな育みを続ける覚悟をしましょう。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会