周一ぶつぶつ

2012.05.26
子どもはハンターなのか、科学者か」

安家周一

京都府にほど近い農村地帯に、年長園児と園外保育に出かけました。到着するやいなや、子どもたちは手に手に虫取り網やかご、バケツを持ち、一目散に田んぼやせせらぎに向かいます。
蝶やバッタに夢中の子どももいますが、カエル、イモリの捕獲に一生懸命な子もいます。30分もしない間にトノサマガエルやイモリを捕まえ、私に見せに来てくれます。子「見て、見て~」私「たくさん捕まえたな~」子「先生、知ってるか?。これ赤腹イモリって言うんや。両生類やで。」私「へーっ、そうなん・・・?」確かに正解はそうなのですが、今はそんな知識や名前よりも、カエル・イモリハンターに没頭してほしいと願うばかりでした。
ひとしきり遊んだ後、小さい沢ガニや蛙などは逃がしてやり、大きいカエルなど少しだけ園に連れて帰ることにしました。帰る途中、カエルは何を食べるのかの話になりました。餌がどこに売っているかやスナック菓子が大好物などと言う笑えるアイディアもでましたが、結論は生きた虫を食べる、ということで一致しました。さて、生きた虫をどのようにして捕らえるか、という質問に、子どもたちは沈黙し、生きた虫を捕まえることの難しさが理解できるようでした。私は一つアイディアを出しました。私「Yくん、家にベランダがある?」Y「うん、ある!」私「そこでうんこしてそのままおいておくとハエがやってくるから、それ捕まえてきてよ!」Y「・・・?。お母さんに相談してから・・。」自信がなさそうです。翌朝,Yくんは私に「だめだって!」と寂しそうに言いました。私の低俗なアイディアは却下されましたが、その後、友達や担任などともよく話し合い、図鑑などで調べた結果、ミミズが好きであることを発見。早速園庭にミミズ堀りに出かけます。捕まえたミミズは大きすぎます。相談の結果、ハサミで切って与えることのなりました。くねくね逃れようとする生きたミミズを切ることは体液が出たりとても残酷で難しことですが、小さくしたミミズをおいしそうに食べる姿に子どもたちは感激、2回目からはスムーズにカエルの食事が進みます。
幼稚園で日常発生するエピソードです。この中に、子どもたちが賢さを獲得する学びの要素がふんだんに含まれていることがおわかりいただけると思います。重要なポイントを抽出するとすれば
1)子どもたちが能動的に関わり、自ら獲得した生(ナマ)の体験であること
2)様々な意見の交換が対等な仲間間で発生し、一人一人がそれぞれなりに腑に落とすことができること
3)自分との関係に於いて物事が発生し、仲間と意見を交換する中で、興味がわいたことや、疑問に思ったことを調べることのできる環境が整えられていること
そのことによって子どもたちの生きた知恵として頭の中に取り込まれます。
このように、自らの体験を体中にため込んだことを基礎に、小学校以降の教育で系統的に教科に分類して、知識として学び習うことになります。豊かな生きた知識として取り込むためには、幼児期に、自ら取り組んだ様々な意味ある体験の質と量が、大きく作用すると思われます。そして、「好き」という関係でつながり合い、最大限の関心で見守り、子どもの傍らに存在する、「意味ある第二者」である「保護者」と「保育者」の存在が鍵だと思うのです。幼稚園は、子ども、保護者、保育者の三者が学び合い、高まりあえる環境が用意されている、人生最初の意図的な育ちの場なのです。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会