周一ぶつぶつ

2022.07.08
いのちの木を植える

緑が目に染みる今日この頃です。さわやかな風が・・・と書きたいところですが、すでに初夏の様相で蒸し暑く、これからの季節が思いやられます。世界に目を転じてみると、ウクライナへの残虐な侵略行為が報道され、20世紀に世界が大きな代償を払って終わらせたはずの力による国同士の争いがまたもや頭をもたげています。今を生きる大人たちは、未来を生きる子どもたちにどのような地球を残すことができるのかの正念場だと思います。戦火の中で隠れ逃げ惑う子どもや老人、女性などの弱き人を思うと、胸が張り裂けそうです。平和を!

そんな時、素敵な詩に出会いました。ご紹介します。

 

いのちの木を植える                    谷川俊太郎

 

木を植える

それはつぐなぐこと

わたしたちが根こそぎにしたものを

 

木を植える

それは夢見ること

子どもたちのすこやかな明日を

 

木を植える

それは祈ること

いのちに宿る太古からの精霊に

 

木を植える

それは歌うこと

花と実りをもたらす風とともに

 

木を植える

それは耳をすますこと

よみがえる自然の無言の教えに

 

木を植える

それは知恵それは力

生きとし生けるものを結ぶ

 

「命の木を植える」岡田卓也・谷川俊太郎 著 株)マガジンハウス 2017

乳幼児期の教育は「根の教育」と表現されます。小学校から高校まで続く学習指導要領に規定された国定教科書による教育とは、同じ教育でも本質的に似て非なるものです。乳幼児教育は大学の教育に似ているかもしれません。たとえば私の師事した小田豊さんの発達心理学や教育学は他の方のそれとは一風違っていたように思います。

小田さんは人間の発達は「風船に例えることができる」と表現されました。産まれたばかりの幼子も、まだ膨らみは小さいけれどりっぱな風船。実に成熟した風船です。だんだん空気が入ってきて、幼児になると、柔らかいふわふわ感のある愛らしい風船になり、いろんなことを吸収して自ら膨らみ続けます。人生の中で30歳くらいが一番張りのある大きな風船かもしれませんが、これも風船。だんだん年取ってくるとしぼみ始めますが、これも見事な風船で、その人と年齢に合わせて、それぞれの人生の風船があるのだ、ということを話されました。学者や研究者によって発達観は違います。まさに、保育はそのように、それぞれの保育を担当する人間と、子どもたちとの真剣勝負。決まったカリキュラムをみんなに同じように教える教育ではありません。ある意味で、その人の生きざまが問われる営みであるともいえます。私が尊敬する小田さんをはじめ、H.Kさん、T.Oさんなどの数人の先生方には共通点があります。「自らのことを先生と呼ばないでほしい」と話され、対等な関係こそが学問の追及には必要だ、という信念をお持ちでした。3人とも鬼籍に入られましたが、至福の時間を思い出します。

一方、私たちの保育は、幼稚園と保育所という2元的な枠組みから、認定こども園・小規模保育所・認可外保育・企業主導型など、百花繚乱の現代です。施設を選ぶ保護者の考え方も様々で、英語で保育が行われる幼児施設を選ばれる方もおられます。多くの保護者はもちろん幼稚園教育要領などを詳しくはお知りになっておられないのですが、無償化によって、経費をあまり考えなくても選べるようになり、本当に大丈夫なのかと首をかしげざるを得ない施設もあり、子どもたちの将来に一抹の不安を覚えます。

幼稚園教育要領の大改訂が平成元年に行われ、すでに30年以上経ちました。それまでの園児たちに望ましい活動をおろす、望ましい活動を教えるという大人と子どもの縦の関係性から、子どもと向き合い、一人一人の特性を観察し、それぞれの子どもの育ちをイメージしながら室内外の環境を構成し、子どもの主体的な遊びや学びを引き出そうとする設定保育です。新たに文科省から示された「主体的、対話的で深い学び」という教育イメージは、幼児教育では30年以上前から追求し続けてきた目標なのです。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会