周一ぶつぶつ

2023.09.27
幼少期の記憶と経験

皆さんはい何歳くらいのことまで思い出せますか。私的なことで申し訳ありませんが、私は断片的な記憶としていくつか思いつくこともあるのですが、小学校入学前の記憶は本当ですか?問われると実はあやふやです。小学校のことは薄い霧の向こうにおぼろげながら見えるような感じでしょうか。2歳から通っていたあけぼの幼稚園のことはほとんど記憶になく、大きくなってから家族と昔の写真を見て、あの時は、あの頃は・・・と話しているのを聞いて、さぞ自分の記憶にある出来事であったと勘違いしていることもあると正直思います。

でも、すごく恥ずかしかった出来事は明確に思い出すことができます。当家は私が生まれて2年であけぼの幼稚園の経営を始めたこともあって両親は共働きで、園と自宅が離れていて、朝早くから夕方遅くまで両親留守の家庭でした。代りにお手伝いさんが他県などから来ていて、昼間は家事・育児、夕方からは夜間高校に通っていて、それ以降は子どもだけか親が帰宅していました。お手伝いのよし姉ちゃんはとても優しかったと記憶しています。

小学校に入学し、一人で服装を整えその日の教科書を用意し、宿題を持って出かけるのですが、忘れ物も多く恥ずかしかったこともありました。ある日先生から検便を持ってくるようにとプリントが出ていて、親に伝えたつもりでしたが当時朝になると親は早くから出かけていて家にいません。しょうがないので自分で用意することになりました。引き出しから表面にABCと書かれた箱マッチを取り出し、中のもマッチ棒を全部捨てて、箱を用意します。次の課題はどのようにして大便を箱に入れるかです。当時の便所は汲み取り式の和便器で、便所で排便すると取り戻せないと気づきます。いろいろ悩んだ挙句、便器の横のタイルのところに排便し、箱に入れることにしました。

次の課題はどのくらい入れればいいのかわからないことでした。とりあえず多いほうがいいだろうと思い、たくさん入れました。次は、包装紙で包むことです。わら半紙のような紙で包もうと格闘するのですが、角が合わずなかなかうまく包めません。ざっくり包んで、ひもをかけようとするものの難しく、そのまま紙に包んでランドセルの中に入れて学校に行きました。

クラスに集まった同級生たちは、それぞれきれいに親に包んでもらった検便を、ひもをつまんで学級委員のちり取りに整然と乗せています。私のところに回ってきたとき私のものと比較にならない自分のそれを想像し、歩いてきた学級委員に「わすれた」と言って提出を拒んだのでした。それ以降そのことを忘れていた私は、数日後に紙に包まれた検便を私のランドセルを点検した母に見つかるのです。相当な臭いがしたことと思うのですが、革製のランドセルでしたので、学友からも何も言われませんでした。

母は「しゅういちくん、ごめんね」と私に話したことを覚えています。私の幼少期の鮮明な記憶です。今思えば専業主婦が当たり前の時代です。ほとんどの学友の母親は家にいて、子どもの面倒を見ていたころです。下に年子の2人の弟が生まれていて、よし姉ちゃんはてんてこ舞いだったんだと思います。ほろ苦い記憶ですが、おかげで様々な葛藤や不便を経て、健全な自己の形成を果たし現在の私の人格がかたちづくられています。人間の成長はハッピーで幸せなことだけではなく、身内の死や自らの厳しかった経験を経て、少しずつかたちづくられていくのだと実感できます。

現代は幼稚園、認定こども園、保育所に限らず、家庭の状況によってさまざまな施設選択が可能になっています。そういう意味では顕著になった、ひとり親や共働きの家庭であったとしても昼間は子どもの保育を外部委託することは可能です。

子どもに対して困難や苦痛をできるだけ排除し、楽しいうれしいことを大人は準備しようと躍起です。喜怒哀楽のすべてが、その人の耐性に合わせて与えられることによって、予測不可能な時代を乗り切るための力がつくのでしょう。振り子を想像してみてください。喜びと楽しみが片方にあって怒ることと哀しみが片方にある振り子です。喜びや楽しみが大きいほど怒りや哀しみの振れも大きくなります。自分の感情を表現する豊かな方法があるということは、自分の感情のコントロールを表出しやすくなることにもつながります。

自分の思い通りに子どもを育てようと考えがちですが、親の措定調和の外側に子どもの生きる学びの要素が散らばっています。信じられることで乗り越えられることは圧倒的に沢山になります。

ページの
先頭へ

学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会