周一ぶつぶつ

2023.09.27
子どもと悪

小さいころにしでかした様々ないたずらや悪さを思い出すことがあります。

道端でアリの行列を見つけると、無性に踏みつけたくなって殺してしまい、誰かに見られていなかったかとあたりを伺ったりしました。

小学生の頃には悪ガキ集団で集まり、竹を切り出し、ポケットに入れている肥後守(切り出しナイフ)で削り、弓と矢や刀を作り、林の中で合戦ごっこをしたりしました。藪の中を走り回り、起伏を乗り越えて日が暮れるまでドロドロになってあそびに講じます。

また夏には、近くの灌漑用の池で泳ぎ、蛇と一緒に泳いでいたこともありました。カエルを捕まえお尻の穴に2Bと呼ばれていた火薬入りの爆竹のようなものに火をつけ、破裂させて、キャーキャー叫びながら逃げたりもしました。今から考えると、とても残酷な行為です。あんなに死んでしまったのに、翌年にはまたたくさんのカエルが水辺に現れ、また子どもたちの餌食になるのです。まさしく生きた教材としての役割を果たしていたのかもしれません。

また、母親の財布から100円札を抜き取り、日ごろからよく買い物に行った市場の入口にあるたこ焼き屋さんに行き、100円札(そうなのです。100円は札でした)を出して「タコ焼きください」と御婆さんに差し出すと「あんた、なんぼ焼くん?」と聞かれ、「100円」と答えると、「100個くらいヤデ」とじろりとにらまれ、「30円ください」と伝えます。しばらくすると30個ほどの竹の皮の器入れられた熱々のたこ焼きのできあがり。家までの帰り道、口の中をやけどしながら必死になって食べようとしたのですが、結果的に家にたどり着いても全部食べられず、前の溝に置いて知らん顔していました。

夕食の食卓に私が捨てたたこ焼きが置いてあり、目が点。しかし問い詰められることもなく、冷めているのに弟たちはおいしいと言って食べていた光景。思いだすと頭から火が噴き出すくらい恥ずかしい思い出として残ります。

河合隼雄さんが「子どもと悪」(岩波書店1997)の中で、『すぐにバレるような盗みをしたときは、それは子どもから親や教師などにたいするなんらかのメッセージである』とも書かれています。

また、当時創造的な仕事をしている人(鶴見俊輔/田辺聖子/井上ひさし他数名)に会い「あなたが子どもだった頃」のインタビューをなさったことが書かれています。どの方もお世辞にも褒められた幼少時代ではなく、相当な悪さな子どもであったようです。また、どの方も悪を起爆剤のようにして仕事を追及され、自由に創造的に生きるにはそのような悪さが不可欠なのかもしれないと言われます。

親たちは商売や農業、生活するために忙しく、子どものことはあまり構われない時代でした。異年齢の3歳くらいから小学校6年生くらいまでの子どもが空き地で群れて、グループを様々交代しながら遊びました。ルールのある遊びをしているときも、ちいさいこどもは「ごまめ=ルールを適用しない参加メンバー」とされ、その遊びが長続きするように工夫されていました。野球道具は高価だったため買ってもらえず、軟式テニスの玉のようなフワフワのボールで、3角ベースを良くしました。バットは自分のげんこつ、グローブは手のひらです。相当な年齢の開きでも楽しく長く遊べました。

結果的に異年齢の人との関りで、年長者へのあこがれや年下の子へのいたわりなどがはぐくまれていたのでしょう。女の子は小さい子を負ぶって子守りをしていることもありました。疲れると他の子どもが交代するなど、小さな地域コミュニティーでのママ友の原型がそこあそこにありました。

このような多様なことをしでかしてきましたが、親からも近所の大人からも怒られた記憶はほとんどなく、不思議です。子どものしでかす様々な悪さや行動が白日の下に監視され、これはいい、これはダメな事と親や教師が判断し、それが躾や教育であるように勘違いしていることもあります。子どもが学ぶということの研究が進み、多様な育ちの違った仲間と、興味のあることを共同で学ぶことが、(PEER=仲間 LEARNING=学び)一番身につくともいわれています。知識や技能の詰め込みではすでに役には立たないことが分かってきました。

人の育ちにとって子ども時代の地域での楽しく自由な空間はとても価値あるものです。見て見ぬふりをすることが肝要なのです。

参考文献:「子どもと悪」河合隼雄著1997岩波書店

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会