園の下の力持ち

2019.10.21
「行事」は手段か目的か

開園して半年。あけぼのほりえこども園で保護者にお越しいただいてご覧いただく行事として、7月に「にじいろこんさーと(音楽会)」、そして昨日「きらりんぴっく(運動会)」を開催することができました。それぞれの行事の中で、子どもたちの弾ける笑顔と、保護者の温かな視線が印象的でした。

さて、本題。多くの幼児施設において、行事というのは園のエネルギーをかなりかけながら取り組む節目のようなものであると思います。運動会で言えば鼓笛隊や組体操、音楽会でいえば素敵な合唱と合奏など、保護者の感動を呼ぶための取り組みに全力を尽くすことが比較的多いものです。先生方もそのために毎年沢山の壁にぶつかりながらも食らいつき、行事が何とか終了したその達成感を味わいながら、また次の行事へと気持ちを切り替え一年を過ごすのが当たり前になっている場合が多いと思います。

ただ、そこで一つ疑問なのは、それぞれの「行事」という取り組みが一体誰のためにあるのかということです。もちろん保護者は「行事」を通して子どもたちの成長を感じ、それまで一生懸命に取り組んできた練習を想像しながら感動し、時に涙しながら子どもたちへ熱視線を向けます。子どもたちの成長を感じられるという点においては、行事というものそれ自体に大いに価値がありますし、子どもたちが何かに向かって一生懸命に取り組むことにはこの時期の子どもの発達に必要な要素でもあると思います。

しかしながら、その過程において疑問を感じることが多くあります。保育者はプログラムを達成するために、子どもたちの気持ちはそっちのけで保育者主導で子どもを動かし、時に厳しい言葉で全員が同じ方向を向いている必要性を押し付けることがあるのではないでしょうか。子どもたちが価値の中心ではなくなる瞬間です。幼児教育においてその「教育」が誰のためのものであるのかが、「行事」の取り組みの中で忘れ去られてしまっている瞬間とも言えます。鼓笛や組体操が、例えば一年を通して取り組まれるプログラムである園にとっては、その活動の中で育つものに「ねらい」を設定し、子どもたちと継続した取り組みを行うことができます。一方で、「行事」のためだけに行う活動は、「行事」そのものが目的になっているわけで、「行事」を完遂すること自体が「ねらい」となることから、子どもたちの育ちや活動のねらいの薄い、普段の保育からの繋がりのないぶつ切りの取り組みであることが多く、その「行事」が終わったらあっさり終了する活動であることがあります。ここに「行事」の在り方に対する考え方の違いが園によって大いに現れると思います。

私たちは、例えば音楽会のねらいであれば子どもたちが歌うことそれ自体の楽しさ、友達と共に楽器を奏で音楽を作り出す楽しさを最大限知ってほしい。運動会のねらいであれば、身体を大いに動かしてその気持ちよさを感じてほしい。仲間と協力して(時に作戦を練って)チームとして協調性を育みながら身体を動かすことの大切さを感じてほしい。そのようなところに「ねらい」を設定します。そして日々の保育の取り組みの中で、歌も歌うし身体も動かす、造形活動にも取り組むということを継続して行うその通過点に、「行事」というものが位置付けられ、「行事」の翌日にはそれよりももっと歌うことが好きになっている、身体を動かすことが好きになっているという子どもたちの在り方が、本来幼児教育における子どもたちへの「ねらい」であるべきだと思うのです。保育者の達成感や自己満足、保護者の感動や見栄えを「ねらい」に据えたような「行事」の在り方は、本質とかけ離れたものなのではないのでしょうか。

子どもが真ん中。それは我々あけぼのほりえこども園におけるどんな時でも変わらない幼児教育における価値観であり、そのような考え方を基盤として、「行事」は目的ではなく、「ねらい」を達成するための一つの「手段」であるという考え方で、日々の保育の繋がりをこれからも大切にしていきたいと思います。

 

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会