学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会
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「決断」とは賭けである。何に賭けるか根拠が求められる。
また、決断する以上、責任は自分で取るという賭けである。何に賭けるか根拠が求められる。
「判断」とは頭でやるもの。知識量や修羅場の経験がものをいう。
判断に求められるのは判断するにあたっての基準、根拠があるかどうかである。
先日お亡くなりになった元プロ野球野村克也監督の言葉です。
今回の新型コロナウィルス感染予防に対する対応の中で、私の頭の中はこの言葉でいっぱいでした。3月から続く休園措置や特別保育の実施にあたっては、この言葉の意味から導けば「決断」ではなく「判断」の連続だったと感じます。そのような時間は子どもたちに向き合う時間とはかけ離れた、毎日とても「残念ながら疲れた」日々が続きました。
様々な情報をかき集め、国・府・市からの要請内容を吟味し、まず私たちが考えなければいけないことは、如何にここに通う子どもたちや職員にとって、最も安心できる最高の学びの場であり続けられるかということです。我々は子どもたちの育ちに向き合う教育・保育のプロとして、価値の中心には常に子どもを据え、その価値基準の中で今回の「判断」を続けていきました。非常に残念なことに、多くの方がコロナウィルスの犠牲となりました。そしてまた、できる限り人との接触を避けるという自粛行動によってしか、自らやその家族の命を守れないという歴史上の混乱が訪れました。既に経済的損失は多くの人を窮地に追い込み、そしてその影響はあとどの程度続くのか予想することもできません。更に、まだ特効薬もワクチンも存在しない状況の中で、一体いつ我々は元どおりの生活を過ごすことができるのか、不安な気持ちも尽きません。
緊急事態宣言が発令されている間、子ども達や保護者への支援をどのように行うことができるか頭を悩ませました。YouTubeによる動画配信や保育教材の郵送、担任からの電話連絡等、思いつく限りアイデアを出し合い、園と家庭が繋がっていられるように努力しました。それでも毎日登園して様々な経験を共に分かち合うことに比べれば、何分の一程度の価値しか生み出せていない事への苦しみも一方で持ち続けてきました。残念ながら子どもたちのいない園舎はまるで死んだ箱のようでした。子どもたちが来て初めて、この場所は息づくのだと心の底から感じる貴重な機会となりました。
このような状況の中で、5月最終週から分散登園の実施という「判断」をしました。とはいえ乳幼児施設で「3密」を避けられるはずもなく、登園の判断は各家庭に委ねる緩やかなスタートです。一方で新しく4月から入園した幼児の子どもたちは、一日も登園していないどころかまだ入園式も迎えられていません。泣き叫び、お漏らしをし、今まで家庭では思い通りになった様々なことが、集団という中では思い通りにならないもどかしさの中で葛藤すること。これが通常の4月の新入園児の姿です。そのスタートを通常の2か月遅れでスタートする。これが後々、幼児教育の中でどのような影響をもたらすのかは走りながら感じていくしかありません。そのような状況の中で、今後の保育や行事の見直しも行う必要があるでしょう。これまで当たり前に行っていた行事については、それぞれの子どもたちの育ちを保護者の方にご覧いただき、実感していただく貴重な機会ではありました。豊かな育ちを見取ったポートフォリオや、担任との面談だけでは子どもたちの育ちが十分に伝えられる訳ではありません。それでは、大人数の観客が待ち構えるホールのステージに立って何かを表現することは、今回の状況を考えた場合でも実施できるのか。それが難しいのであれば、他にどのような方法があるのか。子どもたちが園生活の中で経験したり学ぶ機会は継続できても、ある意味「経験踏襲型」のやり方をし、アナログ世界を地で這うような幼児教育施設が多い中で、思い切った判断をしていく転換期に来ているのではないかと感じます。それでも子どもたちの学びに寄り添い、子どもたちにとって最善の環境を提供していくことは変わりません。3か月の空白期間をどのように埋めていけるのか、時間を超えた取り組みをこれから検討していきたいと思います。