学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会
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昨日6月1日、2か月遅れの幼児の入園式が無事に終了しました。クラス毎に分かれて、園歌斉唱も全スタッフの紹介もない、窓を開け放ってマスク着用の上で、とても短い時間での式典となりました。それでも節目の式典を無事に実施することができ、新入園児・保護者・職員が心新たに新年度の正式な開始を迎えることができました。新しい生活様式に基づくこれまでから考えれば“異例”であることが、今後のスタンダードになることも多いことは理解しつつ、それでも参加を希望する全ての保護者が会場に入り、園の職員を含めた皆で入園を祝うという式典の在り方は、このコロナウィルス感染が収束した後には再開したいと強く思いました。
これまでの約3か月、「常識が覆る」ことを多々経験してきたことは皆さんも一緒であると思います。大きな声で歌うことは飛沫感染を引き起こすので推奨されない、人と人との間隔は2m程度開けるのが好ましい、マスクをしていなければ非常識扱いなどなど。それに加えて、文化的にハグとキスをして挨拶をするヨーロッパでは、その文化的習慣まで変えることを迫られる状況です。ただ、これらのことはある一定の線引きの下で規定されたことであって、これまでの常識が覆った後に、更にもう一度その新常識が覆ることがあると、もはや何が正解なのかが全く分からなくなります。そしてそのようなことが現実に起こり始めています。
現時点で個人的にインパクトがあったのは、次亜塩素酸水にウィルスへ対策の有効性が認められていないということが明らかになったことです。つい先日まで次亜塩素酸水をウィルス対策の必需品として多くの営業電話やFAXがありましたし、実際にネット市場からも各種衛生用品と同様に売り切れていたものです。国からの予算がつき、各園その補助金を活用して様々な消毒関係の商材の発注をしたり、納品を受けたりしている段階です。必死になって買ったものが役に立たない、という事態が起こっています。また、アビガンやレムデシビルといった薬の効果が期待され、様々な国で既に承認を受けたモノでさえ、その有効性が日本では明らかになっていないというようなことも、安心感を打ち砕くようなものです。
マスク着用についても、確かに現在の世間的な感覚でいえば生活する上でのある種のエチケット、そしてもちろん引き続きの感染症予防として一定守られる必要があるように思います。ただ、既に30℃を超えるような気温の中でマスクをしていることは、大人にとってもサウナに入っている感覚に近く、外を歩いていれば時に意識が朦朧とすることもあります。このことからもお分かりの通り、体力の限り全力で遊ぶ子どもたちにとって、マスク着用での生活は苦しさ以外の何物でもありません。更に、小児学会から出されている書類に記載の「熱中症へのリスク」を考えると、この生活の新様式を小学校以上のように机に座って勉強するのとは違った学びの形を取る乳幼児施設に当てはめることもまた、難しさであるように感じます。更に、屋外遊びにおいてはその感染リスクが低いため、密集して遊ばない工夫を施した上でマスク着用をさせない、ということまで小児学会の報告書では言われるようになってきました。これまた新しい生活様式であるマスク着用の常識が覆るのか…という状況です。
個人個人の危機意識や状況判断が違うが故に、どの程度の感染予防対策を行って保育を進めていくのが良いのか、ということは悩ましい問題です。泣けば抱っこ、鼻が出ていれば拭いてあげる、ひざの上で絵本を読むなど、3密が避けられるはずのない乳幼児施設。これまでも、そしてこれからも職員一同は責任感と覚悟を持って日々の保育に当たります。ただその一方で、メディアが報道する感染症予防のためのマスクやフェイスシールド(危なくて保育中につけることはまず無理です)、防護服の着用など、医療現場においては感染予防のために徹底されるべきものが、教育現場での通常の教育時間においてもそのような医療レベルの予防を行わなくてはならないのか。もしもそうだとするならば、そんな危険な状況の中で学校を再開することは正しいのか。逆に、コロナウィルス以外の様々なリスクを踏まえて保育中のマスクの着用を職員も子どももやめたとした場合、今度は逆にそれが不安の要素に繋がって子どもたちの登園を見合わせるという家庭が出てくるのではないか。
現在の日本は、医療現場の取り組みと、その他が本来求められる取り組みが切り離されて考えられておらず、メディアの感染症予防に対する報道が一般市民の我々の生活に大きな揺さぶりをかけてきている気さえします。
いずれにせよ、ワクチンも特効薬もない状況の中で、徐々に感染拡大が収束してきているような気持ちになるこの過渡期を、どんなエビデンス(根拠)を持って判断していくのが正しいのか、非常に難しい状況です。メッキが剥がれ落ちるような薄くて軽い常識ではなく、信じて進んでいくことのできる新常識の概念がいち早く確立されることを願ってやみません。