学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会
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インターネットが広く普及し、今やそれなしには生活ができないくらい当たり前のものになっています。ただ、20年前の状況は必ずしもそうではなかったはずです。
私は学生時代にバイクで日本縦断をしました。その時頼りにしたものは地図でした。ルートを赤ペンで書き込み、自分の通ってきた軌跡を地図上に記しながら旅をしました。50キロ単位で次の目的地を決め、行った先で泊まる場所を探しました。時には夜に目的地へついて泊まる場所を見つけられず、公園で寝ることもありました。今や地図はGoogle Mapやナビに頼る場合がほとんどのはずです。目的地へ行く前に旅行サイトでホテルを予約することも簡単です。目的地までの時間も、最適なルートも全て表示されます。
英語の勉強一つ取っても異なります。分厚い英和辞典をアルファベット順に探し、やっと探し当てたお目当ての単語に加えて、その前後の単語も自然と目に入り、なんとなく語彙が増えたこともあります。今は電子辞書さえほとんどそれ単体のモノは減り、スマートフォンのアプリなどになっているようですが、探したい単語にだけアクセスするような形です。得たい知識そのものにしか向かっていないという状態です。
このような社会の変化の中で、効率化が優先されています。当然目的地までの所要時間もある程度しか分からないバイク旅、単語を見つけるのに時間がかかる辞典を使った勉強の効率は良いものではなかったでしょう。ただそこを経て得た知識や経験というのは今の私を形作るかけがえのないものになっていると感じます。具体的には、物事を多角的に考えたり、目標に向かって取り組む取り組み方に複数の方法が存在するのが当然といった感覚です。非効率が生んだ良さ、みたいなものが確かにありました。今の若い人は…といういい方は相応しくないのですが、社会が変化することによって明らかに解釈や考え方にも変化が出てきていることがあるように思います。
法人全体の採用業務や、研修を受けている新人、講演をさせていただいた大学の大学生などと話をしていると、少し違和感を感じることがあります。
「〇〇になるように考えてやってみてください」
という問いかけに対して
「どうやったらいいですか」
という質問が来ることです。どうやったら〇〇になるのか考えてみてほしい、ということを伝えているのにそのやり方を聞いてくる。初めてこういう人に出会った時には、この人は算数ドリルをやる時に、後ろのページにある答えを見てからドリルを解くような人なのではないかとさえ感じたものです。ただ、実際には少なくない人がそういう傾向にあります。
試行錯誤、紆余曲折といった日本語は、失敗から学ぶ、遠回りも一つの学びであることを含んだ意味であると考えていますが、効率化を求めて変化しているが故にこれらの要素が極端に少ない学習・生活体験となっているのが今の社会なのかもしれません。そしてそのことが多くの人が答えに一直線に向かう思考を形作っているような気がします。今の時代の流れではありますが、一人に一台のタブレットを支給するような小学校以降のICT化による効率化が進むことは、一直線に答えに向かう思考を更に生み出す傾向を助長するかもしれません。
そう考えると、幼児教育は主体的な遊びの中での失敗や集団生活における様々な葛藤、うまくいかないことの連続をどのように園内で乗り越えていくのかを考えていくプロセスに溢れています。早期教育が必要なのではありません。主体的に自らが学びを続ける遊びが確保された環境が大切です。今の時代だからこそ、このような場所がより一層大切にされ、求められそして必要なものであることが認識されなければならないと思います。