園の下の力持ち

2023.03.17
『ママがいい!』と『ママが嫌!』

2022年3月15日。あけぼのほりえこども園で4回目の卒園式を終了することができました。そして16日には他の学年の子どもたちは修了式を行い、無事にそれぞれの学年を修了しました。コロナに翻弄された3年間ではありましたが、この一年はマスク自由化を含めて、保護者の声に耳を傾けながら、子どもたちのことを改めて中心に考え、できる限りの活動を再開することに注力することができました。晴れやかなそれぞれの子どもたちの顔には、その経験がしっかりと刻まれていたように思います。

感傷に浸る間もなく、もう4月が目の前に迫ってきました。乳幼児施設では4月初旬やゴールデンウィーク明けによく聞こえてくる『ママがいい!』という言葉。またこんな声が高らかに聞こえてくるんだろうと、志新たに思いを馳せます。
実はこの言葉は、それまでの母子関係が非常に豊かで、愛着関係(アタッチメント)が実にしっかりと築かれていた証で、むしろ喜ばしいことです。稀に(と思っているだけで、もしかしたら結構あるかもしれませんが)母子分離で親の方が離れらない…なんていう姿を見かねて、保育者が接着剤の付いている両者を剥がすかの如く、勢いよく子どもと保護者を引き離すなんていうシチュエーションもあります。親の方が涙を流しながら子どもを園に残して帰っていくシーンには、少し申し訳なさを感じてしまう部分もありますが、あくまでも、親離れ子離れ、親も子も今までべったりと過ごしたステージから、自立へと向かう第一歩は、少し大胆に思い切りよくいかなくてはならないものです。
これが子育てと教育が繋がる瞬間です。
そのようなステップを経て、一緒に過ごす保育者との間にもしっかりと愛着関係が形成されるよう、園内では丁寧に寄り添い、受け止めることを大切にしていきます。
ユニセフの『世界子供白書2001』には、3歳までの親や家族との経験や対話が、後の学校での成績、青年期や成人期の性格を左右すると書かれています。健全な愛着形成が乳幼児期に達成できなかった場合、犯罪や薬物に手を出してしまう傾向が強いこともよく知られています。

一方で、親であることそれ自体に、どのように喜びや幸せを感じるのかの価値観は人それぞれです。誰しも紆余曲折しながら色々なフェーズの育児を乗り越えて、生活とのバランスを模索していきます。
しかしながら、主に女性に対して、親になったら子育てに喜びや幸せを感じるべき、という考え方や、育児を負担であるだけのものだと感じるようなら、あなたはダメな親なんだ、というような社会的な同調圧力(親の気持ちを焦らせる)が事実、存在するのではないかと思うことが出てきました。つまり、「ママが嫌=ママであることが嫌」であるという考えが悪である、とするのは、そもそも違うのではないかと思い始めたということです。
『ママがいい!(松井和 グッドブックス)』では
子育ては、損得勘定を捨てることに幸せを見出すという人間性の本質を耕し、助け合う姿勢を築く。(原文ママ)
と書かれています。本当にこれが正しい母親像で、このような社会的な価値観に疑問を持たなくて良いのか。実は少し引っかかりました。
「子育てのために損得勘定を捨てることに幸せを見出せ」という考え方は、正直少し極端な意見のようにも思えますし、本の中には、親がむしろ子どもという存在から幸せを与えられている存在なのだから、子どもから与えられる幸せ=損得勘定を捨てた先に得られる幸せを感じましょう、ということで結論づけようとしている部分にも違和感を感じます。もちろん、独身の時には自らが主役の人生を歩み、結婚しても子どもがいなければパートナーと時に重なり合いながら、それでもやはり自分が主役の人生を歩みます。そして子どもができたら、人生で初めて主役を子どもに据えて脇役になり、新たなステージを歩む“必要が”出てくる場合も多いでしょう。ただし、親ならばこういうポイントでやりがいや幸せを感じるべき、という価値観の押し付けが社会にあることは、あまり良い事ではないのではないかと感じています。
『母親になって後悔してる(オルナ・ドーナト 新潮社)』では、
母になることは私的な事業ではない。際限なく徹底的に公的である。女性たちは日常的に、自然かつ本能的に子育てを上手に行うツールを持っているものだと吹き込まれ、「良き女性」「良き母」と見なされるためにどのように子どもと関わるべきかを常に指示されている。主流の母親像として、養育は、完全に子どもを中心として、感情的にも認知的にも関与し、時間をかけて行うべきだと謳われている。西洋社会では、一般的に、育児はほぼ完全に母の責任だとされている。母はそもそも自己犠牲的で、再現なく忍耐強く、自分の人格や欲求を忘れるほどまでに他者の世話に献身するというイメージなのだ。
という指摘がされています。
“イクメン”という言葉それ自体は、男性が女性と共に子育てをするのが当たり前ではない前提での言葉であって、結局は女性を中心とした(もちろん男性には授乳させられないのですが)子育てというのが常である文化的背景があるのだと思います。私も、そんな文化的背景から生まれた価値観をできる限り壊したくて、必死に家事や育児を(当たり前のこととして)できる限り頑張っているつもりでも、子どもから「ママがいい」と泣き叫ばれるとお手上げで、いつもそんな時はとっても悔しく感じます。母親との愛着がしっかりと築かれているという喜び半分、「パパがいい」って叫んでくれないかなと密かに願ってしまうあたり、父親としての力不足ではあります。

核家族での暮らしが当たり前になった昨今、関わる大人が減ることは、子どもの育ちにとってデメリットが大きいように感じます。日本中のパパたち、共に子育てに全力を注いでいこうではありませんか。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会