園の下の力持ち

2023.09.01
アルゴリズムと思考力

先日とある研修会の中で、“選択肢がないと決められない人”が最近増えてきている、というお話がありました。皆さんの身の回りにそのような方が増えた印象はあるでしょうか。
この話の有力な根拠の一つとして、我々がスマホを通して情報搾取を受け続け、自覚のないまま、アルゴリズムの枠組みにどっぷりと浸かった生活していることが挙げられていました。
どういうことかと云うと、SNSやニュースなどを端末で見ていると、上下左右に広告が表示されます。単に様々な種類の広告がランダムに並んでいるだけなら影響は少ないのですが、そこに浮かび上がる情報が、あたかも自分が必要としている情報ばかりだと感じたら、それはアルゴリズムという技術が確実にあなたという人に対して機能している、ということの言い換えの状態なのです。
例えば、ひとたびハワイ旅行について検索をすると、その情報は記憶され、様々なハワイ旅行の提案や、それを取り扱う会社の広告、はたまたハワイに関連した情報が広告として表示されるようになります。同様に、靴でも、飲食店でも、壺でも何でも、その人が検索した回数や頻度、そのページを見ている時間、そしてそのページ上でクリックした回数などの情報を元に、その人のそのモノに対する興味の強さや好みを判定し、しつこいくらいに“好きそうなもの”が羅列される状態を生みます。まるで毎日、自分のことを良く知る親しい人と一緒に買い物に行って「これあなたが好きそうなもの」「これ、あなたに似合いそう」などと言われながら買い物をしている状況に近いような、自分の思考・嗜好に合わせた提案を毎日、何の気なしにスマホなどの端末から受けるようになります。
つまり、スマホ上に単に広告として表示されていると勘違いしている情報は、アルゴリズムによってもたらされた“今の貴方の特に強い興味関心事に沿った提案”であるわけです。それが何日にも亘って繰り返し表示されるわけですから、気づけば根負けしてポチっと購入ボタンを押す…ということになるのです。
このようにして、我々の趣味嗜好にまで及ぶ情報は、あらゆる場面でスマホなどの端末から吸い上げられ、気づけばその提案の中から何等かのサービスを選択したり、ネットショッピングをする構造にどっぷりと浸かった生活へと変化しました。
しかしながら、この現象を反対側から見れば、提示された選択肢の中から決定を下す機会が知らぬ間に増えていることであり、結果として何ごとも選択肢がある中で生きることが当たり前となり、自ら複数の選択肢を考えて、その中から決定する力に影響を及ぼしているということの言い換えになっているというわけです。
先日、とある保護者の方から、小学生のお姉ちゃんが「何のために勉強するのか分からない。分からないことはスマホで調べたらいいやん。」と言われて、とても困ったと仰っていました。
人が生きていくには、当然のことではありますが、多くの選択肢の中から自分の人生は自分で考え、進むしかありません。そして人生の選択肢とは、自らの経験や、身近にいる人からの影響だったり、憧れている何かや、こうありたいと思う自分の気持ち、そういうところから生まれるものでしょう。スマホが教えてくれない世界もある。その上で、最終的にはその中のどれかを自らで決定して進んでいかなければいけませんが、スマホ社会で習慣づいてしまう “提案や選択肢ありきの生活“の中で、もしかすると人は自ら考え、決定する力を弱体化させていくのかもしれません。
このようなことに十分に注意しながら、子ども達も、私たち大人も、スマホやタブレットとの付き合い方をしっかりと考えていく必要に迫られていると感じます。知らないことが危険な世界です。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会