園の下の力持ち

2024.12.01
命感じるインド

もう20年近く前のこと。前職時代に香港に駐在をしていた時のこと。
香港には旧正月(だいたい2月初旬)と国慶節(10月)に大型の連休がありました。せっかくの長い休み、日本にいるとなかなか行くことのできない国々が香港からは近い!せっかくなら行くしかない!と意気込み、様々な国を巡りました。
4年間の香港時代に旅先に選んだのは、インドネシア・マレーシア・台湾・タイ・フィリピン・カンボジア・シンガポール・ベトナムそしてインド。沢山の文化に触れる中で、インドへの旅が個人的には最も衝撃的な経験となりました。

インドのヴァラナシ空港に降り立ち、そこから列車でコルカタ(旧カルカッタ)まで移動し、ガンジス川のほとりのゲストハウス(ベッドは石づくり、水シャワーのみ)に滞在することに。道端で買えるチャイを飲みながら(薄いレンガ素材でできたカップは、飲み終わったらそのまま地面に落として割るのがインド流)、沢木耕太郎の「深夜特急3~インド・ネパール」を読んで数日を過ごしました。ゲストハウスのバルコニーからガンジス川で沐浴する人々、河原で喪主となった小さな男の子が父親の火葬を見守る様子など、目に焼き付いた光景は今でも鮮明です。
そんな中、ゲストハウスで知り合った方から、外国人でもボランティアができるマザーテレサが作った施設があることを聞き、沢木耕太郎の深夜特急に描かれたインドを、ガンジス川を通して感じること以外に観光の目的を持っていたわけではなかったので、翌朝その施設の受付に興味本位で行ってみることにしました。集合時間は午前7時。様々な国の人々が同じように施設に集まってくる中、当日の流れが説明され、その後、ボランティアを行う施設の振り分けが行われました。ボランティアを受け入れているのは1.Khalighat(カーリガート)死を待つ人々の家、2.Shishu Bhavan(シシュバヴァン)孤児の家、3.Prem Dam(プレムダン)老人の家、4.Shanti Dam(シャンティダン)という4施設で、した。
孤児の家とかで子ども達と一緒にたくさん遊びたいなぁとぼんやり考えていたら、肩を叩かれながらKhalighatと一言。
一人で野垂れ死んでしまうような環境にいる人たちが、誰かに見守られながら亡くなることの偉大さをマザーテレサが形にした場所でした。

徒歩で移動して施設に入るとすぐ、「この人を抱きかかえて押さえて!」と言われ、ぱっとお姫様抱っこしたのは60台くらいの男性。ただ、身長の割に恐ろしく軽く、推定30キロくらいしかないように見えました。眠っている様子です。そこに看護師が大きなバケツを持って走ってきたかと思うと、お姫様抱っこされている男性の足元へバシャーっと液体をかけました。その瞬間、男性がカッと目を見開き大声を上げたかと思うと、液体のかかった足から大量のうじ虫が出てくるではありませんか。吐き気を抑えて暴れないように男性の抱っこをさらに強くして、落ち着くのを待ちました。足が壊死したところに消毒液をかけたのだと察しました。その数時間後、その方は亡くなりました。
次の日、手足のない方の担当になりました。つまり胴体と頭だけの方でした。トイレに行きたいときには声を掛けられるから、トイレのお世話をすること、それに食事の介助、それ以外にも何か言われたらできる範囲でするようにと言われました。全く動けない方なので、せっかくなのでいろいろとお話を聞いてみようと話しかけますが、全く答えてくれません。ひとしきりいろいろな質問をしましたが、やっぱり一切答えてくれません。
そんなタイミングで「トイレ」という声が。「あぁなんだ、トイレに行きたかったのに話しかけすぎて伝えるタイミングがなかったのか」と勝手に思い込むことにして、車椅子に載せてトイレへ。小便用の便器の前に車椅子を動かし、ズボンを脱がせて専用の椅子の上に移動させますが、一向に尿が出ません。「あれ…」と思っていたら、「No」だなんて言います。「トイレ」って言われたのは聞き間違えだったのか、などと思い、再び車椅子に乗せてトイレの外へ出ようとしたら「No」という声。「あれ…あれれ…」と悩むのもつかの間、排便したいということを察しました。再びトイレに戻り、個室トイレに入って便座に座らせると、それはそれは見事な便が出ました。ほどなくして「Finish」という言葉を聞き、トイレットペーパーを探しますが見当たりません。見えるのは大きな甕と柄杓。

20年近く前、自分が子どものおむつ替えをした経験もなければ、介護の現場に入ったこともない中で、トイレットペーパーではなく、柄杓で水を掬い、素手で他人のお尻を拭うことになるとは想像もしていませんでした。心の中で絶叫しながら、お尻を拭ったあの瞬間は忘れもしません。しかも咄嗟の出来事だったこともあり、お尻を拭ったのは右手。インドでは食事をする方の手です。この一件が原因ではないと思いますが、その後腹痛と吐き気、おびただしい数の口内炎ができ、滞在中の主要な食事であるカレーを一切身体が受け付けなくなり、ふらふらになりながら5日間のボランティアを終えました。
ボランティア最終日の5日目、この方は亡くなりました。

ガンジス川のほとりで感じた人の命。誰かに見守られながら命の灯を消していけることの尊さ。一つの旅で生と死の二つの側面を教えられたこの旅は、自分自身の価値観にものすごく大きな影響を与えました。

「またもう一度行きたいですか?」

と問われたとき、それでもいつも答えに迷う国インド。不思議な国です。

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会