遊びの匠

2019.10.04
誰の安心・誰の経験

「更新頻度が少なすぎる!」と思われても仕方ないぐらい前回の投稿から時間が空いてしまいました。お詫びと同時にその間にじっくり考えた園庭の環境についてのお話をさせていただきたいと思います。少し長くなりますがお付き合い頂けると幸いです。

先日、工事の為に設置されていたフェンスが取り払われ、築山と滝と川が融合した園庭の新しい遊び場がオープンしました。

「はやくあそびた~い」と完成を心待ちにしていた子ども達も目をキラキラさせて思い思いに全身でパワーアップした園庭の感触を確かめています。

ちょうど完成して「水を流すよー」となったのが夕方の5時頃でした。そこにいた年中のH君。水が溜まるにつれて目の輝きが増していきます。その日はお母さんの「もうかえろ~」という声をよそに、真っ暗になるまで遊び、最後は涙涙で園を後にしました。(子どもが帰りたくないのはある意味ナイスなサイン!)

次の日の朝。幼稚園に着くと・・・

100点の笑顔ですね。

話は変わって、私の幼稚園時代の思い出の大部分を占めているのはあけぼのの園庭での遊びです。当時はまだ今の砂場から奥はなく、とても狭い園庭でしたがそれでも、泥団子を作ったこと、水あそびをしたことなど今でも鮮明な思い出として私の中に残っているほど、「園庭との出会い」はスペシャルなものなのでしょう。

そこから南風亭の建っている土地が広がり、幸いにも2年前に今の南の広場が広がりました。そこから飼育小屋を移動させ、空いたスペースにこのたび築山ができ私の幼少期とは比べ物にならないほどの園庭になりました。

そんなあけぼのの「園庭」。子ども達にはできる限り”本物”に触れてほしい。人工的に作られたプラスチックや鉄ではなく、土、水、木、草や石など”本物”の素材で作られた物がいい。触れる物、こと、人から驚くほど敏感に様々なことを吸収する乳幼児期の子ども達だからこそ”本物”を味わってほしい。そんな思いが詰まっています。

「昨今は屋外で子ども達が『安心』して遊べる環境や時間が減少していると言われ、幼稚園に通う子ども達のみならず、地域の子ども達にとっての遊びを保護する意味でも保育・幼児教育施設における「園庭」の役割は高まっています」とは最近よく聞かれますが、この『安心』とはどのような『安心』を意味しているのでしょうか。例えば、子どもが連れ去られるなど、犯罪の被害にあわないように地域の目や大人の目のもとで遊べる環境は本当に『安心』なのでしょう。しかし、ある公園が「木登り禁止」「ボール遊び禁止」さらに地面を極力平らにしてある場所だとしましょう。それは本当の意味で子ども達にとって『安心』なのでしょうか。

私には極力子ども達がチャレンジできる環境を隠し、ある意味でけがの少ない遊びへと誘導するようになっていると思わざるえません。子どもの育ちなんか全然考えられていない。それは本当に『子ども達にとっての安心』でしょうか。私には一方的な大人(親)側の安心を担保するためのエゴのようにも感じます。

では、子ども達が『安心』して遊べる場として役割が高まっているとされる保育・幼児教育施設の園庭において、本当に求められる『安心』の役割とは何なのか。それは、上記したような極力危険を排除した大人にとっての『安心』な園庭ではなく、それぞれの子ども達の将来的な『安全』を見据えた環境なのでしょう。

子ども達は本能的に自分の学びたいものに能動的に関わり、その中で失敗しながら自らの学びを深めていくと言われています。誰だって想像しているだけでは何も身に付かず、実際に1歩を踏み出すと想像とは全く違う学びに出会います。

私が最近出会い、通じる思いからうれしくなった本(宮崎駿さんと養老孟司さんの虫眼とアニ眼)の冒頭でお二人がイメージする保育・幼児教育施設のあり方がわかりやすく描かれていました。

「あぶなくないと子供は育たない」中々攻めた表現ですが、トトロやもののけ姫など驚く程子どもの心情の裏側をくすぐるのがうまい天才もそう感じるんですね。

話は変わって、今世界でも乳幼児期の危険な遊び「Risky Play」の重要性についての研究が非常に活発に行われています。では「Risky Play」とは何を指すのか。皆さんも子どもの時の事を思い出してみてください。ちょっと自分にはチャレンジだけどスリリングでドキドキするあの感覚。たぶん経験したことない人いませんよね?(いたらごめんなさい。今度一緒に木登りしましょう)。

では「Risky Play」とは何を指すのでしょう?私の読んだ論文では①高さのある遊び(木登りなど)②自分では中々コントロールできないスピードがでる遊び(ブランコ、自転車、そりあそびなど)③扱い方を間違えれば危険なツール(包丁、はさみ、ロープなど)④友達との関わりの中で(サッカーや相撲、棒を使ったチャンバラなど)⑤水の中での遊びなどその他にも複数ありますが、幼児期に自らこの「Risky Play」に関わる(やりたい子しかやらないのは大前提)ことは、危険を認知する力やしなやかな身のこなしを高めるという事はもちろん、将来的に仕事や生活の中で出会う様々なリスクを扱う能力やソーシャルスキル(社会性)を含む様々な力を高めるという研究結果が出ています。

あけぼのにもたくさんの「Risky Play」がありますね!

数ある研究結果の中で研究者が口をそろえて述べているのは、「Risky Play」で育つことよりも”禁止や制限で過度に守られた環境(人的にも物的にも、チャレンジすることが許されない)で育つことによる危険性”です。それはすぐに目に見えるわけではなく時限爆弾的「将来的」に訪れ、例えば、どんな場面でも不安感を持った大人に育つ可能性があることや、その他様々な悪影響が確認されているという研究結果でした。

「あれはだめ!絶対やったらあかんで」「たかいところは禁止!」が与える長期的な影響はある意味大きい様に感じます。

「子どもにはけがをする権利がある」というあけぼののコンセプト。別に子どもがけがをした時の自己(あけぼの)防衛の為にあるのではありません。子どもが育つ中で、自ら一見危険な遊びに挑戦することのに教育的価値を置き、プロとしてその重要性を伝え続けるという事なんです。その中での失敗をもとに学びを深める。それがあけぼのなんです。

危険から目をそらすのはばかやろうのすることです。まずは職員が園内の全ての事について(危険も含め)知ることが義務だということは私達職員が認識しなければいけません。そして、築山完成後は今まで以上に職員が『安全』について活発に議論し、子ども達の育ちを支えているのもあけぼの職員の素晴らしさだと感じています。

「安全」の反対側にあるのが「危険」ではなく、「危険」に触れることで適切に「危険」を扱える人間になってほしい。

大人目線の『安心』に偏るのではなく未来を見据える教育者集団として『子どもの将来的な安心』に教育的価値を置き、危険と向き合い続けていくことが必要なのでしょう。

「誰の安全」で「誰の経験」をよく考え、子ども達にとって最高の「園庭」になるよう考え続ける必要がありそうです。

最後に某有名園の私が尊敬する園長先生から教えてもらった絵本のワンシーンでお別れです。

そして、これは「経験」なくしてはなしえないということ。

「危険」「不便」「不潔」そんなものを極力取り払った現代から、時代を巻き戻すように未来へ進める営みこそ教育と呼べるのではないでしょうか。

幼児教育の父といわれるフレーベルが幼稚園を「Kinder」子どもの「Garten」庭=「Kindergarten」と名付けたように、園庭に子ども達のロマンが溢れ、最高の育ちの場になってくれることを願うばかりです。

明日は「ふんぱつ広場」輝く子ども達の笑顔が見られますように!!

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会