遊びの匠

2020.11.09
幼稚園+幼稚園の時間

今の年長児にとってあけぼので生活する時間も残り5ヶ月弱になりました(いつももっとゆっくり育っていいんだよ!と思ってるのはここだけの話)。

 

子ども達にとっても保護者の方々にとっても不安がいっぱいの小学校進学という大イベントも目の前に迫ってきています。

今回小学校について、教育を”選ぶ”ということについて私なりの想いを綴ってみたいと思います。

 

まず子ども達が人生で初めて出会う教育。それが乳幼児教育。皆さんは多くの幼稚園・こども園・保育園がある中であけぼのを選び”我々と共に子ども達の育ちを見守っていると思っています。

 

そして次のステージが小学校です。小学校選びは幼稚園の時とは違い、住んでいる場所で指定される公立の小学校に進学するケースが圧倒的に多いと感じます。特に日本の教育システム(欧米などの教育先進国に比べ、圧倒的に教育に選択肢の少ない国)ではこれが知らず知らずの間に”当たり前”になっているのではないでしょうか。幼稚園での時間を3年とするのであればその2倍もの6年という時間を過ごす場所なのですが・・・

 

その後の中学校も同じイメージで進み、中学校卒業後は子どもが進学なのか就職かなど自らの進路を決める(決める能力が備わるといったほうが適切かもしれない)。そして、大学や専門学校、就職など自ら選択し人生を進めるというパターンが多いように感じます。

 

私は上記したような、知らず知らずの間に当たり前となった日本の進学のシステムに少し問題があるように思うのです。

 

例えば、幼児教育は子ども達が自主的に教育を決めることが難しい時期なので保護者の皆様が決める。高校、大学、就職などにもなると子ども達が自ら決める能力が備わるので、親は助言する程度でしょうか(これ以上突っ込んでいるのであればそれもそれで少し問題?)。では幼児教育から高校進学までの間である、人間の育ちに非常に重要とされる義務教育の時期はどうでしょう。

 

年長にもなると保護者の方々から「小学校進学に向けて」「小学校の生活では」こんな会話がよく聞かれますが、その小学校とはどの小学校なのでしょう?多くの場合校区内の公立小学校を指すはずです。

 

話は変わって、教育というものは一定の事を同じように子どもに施しても成果は全く異なることが多く、ある意味究極の生物なのではないかと思っています。ですから、教育にもそれぞれの子どもに合う、合わないが必ずあります。

 

例えば、あけぼのでは一律一斉の保育者主導の保育は行いません。日々の中で遊びを選択できる時間を十分に確保し、保育者がその遊びの姿から様々な事をみとり、子ども達がその育ちの一歩先を自ら手にできるように環境や関わりを添えていきます。これは一般的に援助型の教育と言われます。さらに言うと、最近ではこのような教育をアクティブラーニングとも呼びます。

これは私なりの解釈ですが、学び手の学びたい事、興味のある事をアクティベイト(活性化させる)する。言い換えれば子ども達の学びスイッチを起動させる教育と捉えています。まさに興味に寄り添い、学びを最大限に引き出す援助をする教育なのです。

そして現在の教育界ではこのアクティブラーニングが幼児期のみならず、それ以降の教育現場においても非常に大切であり、教育の最大の目的でもある、社会に出た時により良く生きる力を育てることに繋がると言われています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f3788d6bb399e478bf9a22fd4006f868549c2767 (最近こんな記事もありました)

 

その一方で多くの小学校、中学校での学びのベースは先生が黒板の前に立ち知識を伝える教授型と言われる教育が多い傾向にあります。別に今の義務教育のスタイルが悪いと言いたい訳ではありませんが、どうしても決められた枠(学びの範囲)の中で、それぞれが興味を広げることに留まる印象を受けてしまいます。

 

しかし、近年では小学校一つをとっても様々な方法で学校のスタイルが生まれ、それぞれの子どもに合った小学校の選択肢が増えています。

 

ここからは1人の男の子のストーリーを紹介します。

 

TA君というやんちゃでよく動き、自分のやりたいことにまっすぐな年長児がいました。その子はとにかく大人に物事を決められることが嫌いで、大人の手を焼く存在でした。そんなヤンチャボーイも時間には勝てません。大好きだったあけぼのを卒園し、いよいよ一般的な公立小学校へと進学していきました。

小学校入学当初は新しい環境に馴染もうと見様見真似でみんなと一緒のように授業を受けていました。もちろん得意な教科は体育で決まりです。しかし、次第にその環境が息苦しくなり始めます。

親が共働きということもあり、放課後も小学校で過ごす日々。幼いながらに「まじ時間の無駄やわー」なんて思いながら、一応言われるがままに生活していました。しかし、友達ができ、その友達が放課後に近くの公園で遊んでいると聞くと、我慢の限界です。小学校を抜け出しみんなと合流。公園で虫を探したり、野球をしたりめちゃくちゃ楽しかったのでしょう、その後も幾度となく学校を抜け出す日々が続きました。しかし、先生達はコントロールの効かない問題児を前に「もう手に負えない!」とTA君の親に訴えました。(親の証言)

 

時を同じくして、和歌山県の山奥に子どもの自己決定を軸に据えた教科書もない時間割もない日本一自由な学校(文部科学省に認可されている)が産声を上げようとしていました。それがTA君が小学校2年から入学したきのくに子どもの村学園です。

 

TA君は1年生だったある時、父親に連れられその学校の体験に行きました。大自然の中で子ども達の興味を尊重するまさにアクティブラーニングの極みのような場所で、自ら「ここがいい!」と転校が決まりました。

 

この学校は全寮制で月曜日の朝に豊中を出発し、御堂筋線で難波まで行きそこから南海電車で橋本という高野山の麓の駅まで行き、学校のバスで50分程で着く場所にあります。

そして月曜日から金曜日までは寮での集団生活(優しい寮母さんがいてみんなでご飯作ったりするイメージです)。そして金曜の夕方に学校を出て週末は家で過ごすというスタイルです。「小学校2年から寂しくない?」とよく言われましたが、寂しいのは最初の1ヶ月ぐらい。後はこの広大な校庭(今でも頭の中に地図があるぐらい自分の山にしていました)と仲間と先生達(きのくにでは先生ではなく大人と捉え、名前やあだ名で呼ぶルール)との生活が楽しくて寂しさはどこえやら。週末も地元でのサッカーがなければ帰ってなかったと思うほど。

さらに、1年から6年までの子どもが縦割りで生活し、出版社、工務店、うまいもんクラブ、ファーム(当時)といったプロジェクト(クラス)の中から子ども達が、”好きな先生がいる”や”好きな友達と一緒に”、”これを学びたい”と考え自ら選びます。そして、活動の中で出会う様々な問題に絡めて大人側が算数、理科、国語、社会といった学びを提供してくれます。(例えば自分達で飼育小屋を作るとして、屋根の角度の求め方(数学)買い出し(社会)といったイメージです。

長くなるので詳しいことはこちらのウェブサイトか僕に話しかけて下さいね。

http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/?page_id=13 (きのくに子どもの村学園)

近場で言えば箕面にこんな学校もあるようです(卒園生も行っているようです)。

https://cokreono-mori.com/index.html (コクレオの森)

少しストーリーが長くなりましたが、TA君の親も小学校進学の際には”当たり前”の風潮に乗っかり教育を選択するということの重要性に気付いていなかったのかもしれません。しかし、一般的な小学校のスタイルにあまりにも不適合な我が子を見て、考えが変わり行動に移してくれたのでしょう。(今でもこの決断が人生最高の贈り物と感謝しています)。

ここで伝えたいことは公立小学校への進学を当たり前と捉えるのではなく、その子に合った教育を選ぶ役割が親にはあるのではないかということです。その結果が公立校進学であるのならばそれはそれで問題ありませんが、校区内の小学校進学が”当たり前”となっているのは違和感があるのが正直なところです。さらに言うと小学校でのクラスの割り方、先生との出会い方にも少々問題があるように感じます。例えば、とても良い先生に出会えたのであれば、学校に行くのも楽しくなり、学びも促進されるでしょう。しかし、保護者の方々から頻繁に聞く「先生が外れでした」や「先生と合わないんです」。そんなロトみたいなシステムでは子どもがかわいそうにも思います。良い教育は学び手と教育者の相互の作用で成り立っています。だから、学び手である子ども達にも選ぶ権利があるはずなんです。

先生との出会いが子どもを変えるということを教えてくれる1冊です。是非読んでみて下さい。

 

日本の社会では当たり前の様な公立小学校への進学ですが一度少し考えてみる必要があるかもしれません。「頑張っていけてます」「椅子に座れています」これが本当にその子の人生を豊かにするのでしょうか?

あけぼのの生活で手に入れた、とてもパワフルで力強い内発性や能動性、集中力、そして友達関係の中で育まれた社会性はきっと社会に出た時に武器になるに違いありません。しかし、教育や環境を通してその力に蓋をすることは決して難しくないことだけは共有させて下さい。

別に公立の小学校の教育が悪いといっているわけではありませんが、学力重視の義務教育の時代は遅かれ早かれ終わりを迎えると思っています。

ですから、子ども達が自らの進路を選べるようになるのは中学校以降と仮定した時(私もサッカーに集中したい想いから中学は公立に行きました)それぞれの保護者が教育には選択肢がある事を子どもに伝える事、共に考える事が非常に大切だと思います。6年間という圧倒的に長い縛りの小学校選びを一度考え直してみて欲しいと思います。

 

「常識とは18歳までに経験した当たり前のコレクションである」という言葉に最近出会いました。私が常識外れの事を言ってるかもしれませんが、ここは誰にそう思われたとしても、問題提起させてください。だから、愛する子ども達の為に今一度自分の常識にダウトをかけてみて欲しいと思います。もちろん経済的な負担も伴う可能性があるので一概には言えませんが、目の前の子どもを見つめ、その子の未来の為に教育を選ぶということも選択肢の一つになれば本望です。

大好きな子ども達の未来が少しでも輝いてほしい、そんな思いを胸に残り5ヵ月生活していきます!

 

 

 

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学校法人あけぼの学園/社会福祉法人あけぼの事業福祉会